ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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頭が働かない。

言葉が浮かばない。

どうしたものかと、横をちらと見ると空き缶の商品説明文が目に入る。

パクることにした。

 

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●名称:はてなブログ

●ブログ名:ネガティブ方向にポジティブ!

●原材料:「私」の自意識、言い訳、詰まらなさ、気怠さ、お巫山戯、真面目

●内容量:300〜1500文字程度(その日の気分によって変わる)

●賞味期限:飽きられるまで。

●著者:上の小枝の怠け者

●運営者:同上

 

注意:当ブログは大変詰まらないブログです。期待して読むとガッカリします。

常温で保存してもらって大丈夫です。既に腐っていますから。

●ごく稀に、面白いことが書かれていますが、品質には問題ありません。

●ブログを開いたらなるべくお早めに閉じてください。

●お問い合わせ:当ブログホーム下記 プロフィール参照

 

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うん、これで良し。

未だに頭が働かない。

言葉が逃げていく。

過去の不精な私が置きっぱなしにした空き缶に、多大な感謝を。

 

投稿します。

(言い訳の先は、鬼が出るか蛇が出るか…)

8月2日、学生は夏休みに、地域で言えば夏祭りが近付いて来る時期。

皆が浮き足立っている時期なのに私は、炭酸水の炭酸が抜けた上に温くなったように腑抜けています。

そして、自動車の給油の目盛りが残り一目盛りなのに、ガソリンスタンドが見付けられないような焦燥感に見舞われています。

 

何故にそんな焦燥感に駆られているかと言えば、8月11日にあるイベント、「ナナシノエイト“名もなきオープンマイク 松本編”第8夜」に関係あります。

 

「ナナシノエイト“名もなきオープンマイク 松本編”第8夜」と言うのは…以下参照。

※諏訪での出張開催を経て、今回は第八夜!

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☆誰でもエントリー可能なオープンマイク方式のステージ!毎回多彩なゲスト出演もあります。(今回のゲストはページの↓に)

◆ ナナシノエイトとは?

スポークンワード/ポエトリーリーディングを主体としながらも、朗読の範囲を超えて、ダンスやお芝居、落語にお笑い、楽器演奏から手品実演、紙芝居や告知雑談にいたるまで、どこまでも懐深く表現のかたちを受け入れてきたのが長野市ネオンホールで100回以上続く「ななしの0」

その松本編が「ナナシノエイト」です。

【オープンマイクのエントリーは当日でOK!】

誰でもエントリーできるステージです。朗読、演奏、舞踏、上映、告知、一人語り、その他なんでも舞台に立つ事ができます。
パフォーマンスは5分以内を目安に、最大延長8分まで。

(※楽器演奏の方、映像投影の方は、打ち合わせ時間を考慮して早めにご来場ください)

もちろん観るだけの人も大歓迎!
途中入場、途中退場もOKです。

 

 

まあ、ざっくり言えば、飛び入り参加ありのパフォーマンスイベントです。

 

それで、石の上に苔が生すまで地面にへばっているような私ですが、割とちょくちょく参加しています。

パフォーマンス自体が好き、色々と舞台の上でしかできないことを実験としてやれる、アンダーグラウンドの雰囲気が好き、と細々とした理由があります。

ただ、一番大きい理由は、自分への言い訳のためでしょうね。

 

と言うか、基本、言い訳のために行動している意識が強いです。

仕事に行くのは、「社会貢献しつつ、普通である」ことへの言い訳。

ブログを書くのは、「継続する」ことへの言い訳。

そして、ナナシノエイトでは、「活動をしていることで、何かを得ようとする」ことへの言い訳。

 

自己を保つために色々としていて、そのすべてが言い訳のため。

自分の足で真っ直ぐに立てないので、他人様に寄りかかって自己を保ちます。

虎の威を借る狐とは、私のことです。

 

そんな言い訳のために参加している私ですが、8月11日はちょっと事情が変わります。

その日は、主に長野で活動している、朗読家の植草四郎さんと共演することになったのだ。

今まで独りよがりのパフォーマンスでしたので、共演となると勝手が違うと言いますか…

 

何が困るかと、私のパフォーマンスの内容が決まらない…

いや、途中まではね?考えて、ちょっと練習もしたのだけど。

これは果たして、私がやるべきパフォーマンスなのか?と。

 

一個前に、長野市で「ナナシノ0」に参加したときは、持論と言いますか、普段こんなことを考えてます、というようなことを言ったのですが。

その時に、「詩を読むより面白い」と言われ。

 

その言われたことに対して、私なりに考察しまして。

多分、私の詩というのは、言葉遊びが過ぎると言いますか。

私個人が見えない、内面がむき出しになっていないのではないか?と。

自己を開示する、というのがオープンマイクの一面とした上で、もっと自分を出した方が良いのではないかと。

 

今回は、共演という形ではあります。

それで、足並みを揃えようとしても、私はアマチュアで、ぎこちなくなりそうで、そうしたぎこちなさも含めて楽しめれば良いですけど、観客は果たしてそれで良いのか?

それよりも、もっとライブであることを意識した、生の声、自分の言葉を発した方が丁々発止になるのではないか?

と、考え至り。

 

つまり、完全に行き詰まってしまっているのです。

これは、困ったことです。

…11日までには、どうにか自分の中で処理できるようにしたいです。

 

嗚呼、迷惑をかけなければ良いけれど…

誰かと一緒に何かをするというのは、大変こわいです。

 

言い訳の先は、鬼が出るか蛇が出るか…

 

時間がないですけど、どうにかします…はい…

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深夜に起きて、はて、どうしたものか?と考える。

休日を寝て過ごすのも、悪くない。

しかし、微妙に目が冴えてしまった。

 

そこで、牛丼を食べに出かけ。

食べた帰りに24時間営業の書店に寄り。

帰って、ちょっと漫画を読んで、また寝てみた。

 

仕事に出かける時間に目を覚まして。

意外に深夜でも良いかもしれないと考える。

いや、私の場合、書店にさえ寄れれば、それで満足だから、24時間営業の書店があるだけで万事問題ない。

 

小腹が空けば、コンビニエンスストアーがあるし。

深夜でも特段困らないことに今更に気付く。

夜勤明けの休日は、いつも外が暗いから、何処か休日の終わり感があって出かける気が削がれていたから、深夜でも私としては問題ないことの発見は素直に嬉しい。

 

ただ、深夜にメガ盛りを食べた性か、今、若干胃もたれ気味…

あと、まだ眠気があって仕方がない。

うーん、まあ、選択肢が増えたから良しとしとおこう。

 

投稿します。

『うつらうつらと』

詩を書きます。

いや、適当に書いていたら、それっぽい気がしたのと。

最近、このカテゴリーに投稿してないな、なんて感じて。

何か、意図があった訳でも、何か、意味がある訳でもない、投げ捨てられた詩です。

 

『うつらうつらと』

 

目覚ましを止めて、眠りに着く。

うつらうつらと夢枕。

 

汗をかいて、目を覚ます。

時計を見ずにもう一眠り。

うつらうつらと夢枕。

 

寒くなって、目を覚ます。

時計を見ずにもう一眠り。

うつらうつらと夢枕。

 

外が暗くなってまいりました。

外に明かりが灯りました。

うつらうつらと夢枕。

 

それで気付けば、23時。

いやー、よう寝た。

 

目覚ましの鳴る音がない世界は、本当に静かだ。

目覚ましの音は、心臓に刺激が強過ぎる。

できれば、このまま夢の底に埋もれていたい。

 

しかし、お腹が鳴る鳴る、夜の帳。

うつらうつらと夢の外。

 

これは詩の一遍に成り得るだろうか?

さんざめく夜の気配は、虚ろな私の洞の中で良く響く。

また、お腹が鳴る、洞の中。

 

うつらうつらと夢枕。

ここは夢か幻か。

確かなのは、お腹の音。

 

詰まらないことをまた考える。

目覚ましを止めた、眠った休日。

うつらうつらと文字を打つ。

94

もうすぐ7月が終わる。

8月がすぐそこまで来ている。

9月になれば…はてなブログで書き始めて、1年となる。

 

あと1ヶ月で1年である。

およそ30回寝て起きれば、1年である。

その前におよそ335回寝て起きたことになる。

 

毎日投稿を自らに課して、去年の12月前後を除き、毎日投稿した。

途中から、短文記事に切り替わり、毎日投稿した。

毎日毎日、来る日も来る日も投稿した。

 

お陰でPVは一日20前後を維持している。

有り難いことだ。

そして、ふと考える。

 

これは、ブログと呼んで良いのだろうか?

ブログの語源は「Web log」、Web上で記録することから来ている。

私は、毎日記録した、間違いなく。

 

そうした意味では、むしろ、ブログらしいブログをしているとは言える。

ただ、他のブロガーの皆さんを見ていると、明らかに私のブログが異端なのが分かる。

情報発信したいだとか、収益化したいだとか、関わりたいだとか、私にはない感情の吐露が見える。

 

ただ、記録していくだけの、このブログは一体なんなのだろうか?

アカシックレコードに記載されるように、存在を認められないが記録しているこのブログは、一体なんなのだろうか?

自分のため、エゴのため、欲のためと、記録し続けたこのブログは一体なんなのか?

 

始めた当初は、1年継続できたら、はてなProにしようかな?と漠然と考えていた。

今は、はてなProにする意味が全くないことに気付く。

毎日更新できれば、それで良いからだ。

 

継続することの意味を考え出したら、継続することで得られることが何なのかがまるで分かっていなかった。

何かを得たい、と考えて書いていた訳ではないが、本当に闇雲に継続してきたこのブログの正体に愕然とした。

詰まらないことを吐き捨てて、本当に詰まらない記事を書けているのか?些かの疑問が残る。

 

1年、あと1ヶ月で1年だ。

「毎日投稿する」だけでは物足りなくなったのだろうか?

1年達成したら、もう少しだけ、背伸びをしても良いのかもしれない。

 

より詰まらないブログを目指して。

 

投稿します。