やけに今夜は冷える。
風が吹く度、指先がぴりりとする。
骨が軋むほどに凍えて、身を小さくする。
目が冴えるから、呆けた頭には丁度良い。
しかし、手の感覚がどんどん消えてなくなっていくのは困る。
このままでは、手の感覚どころか、手が消えてしまいそうだ。
身体が冷えると、心まで冷えていく錯覚する。
錯覚なのか?と誰かが囁く。
錯覚さ、元より私の心は冷たいのだから。
何を以て、「私の心は冷たい」と断じるか?
未だ仮説の段階だが、人の温かさ、社会の有り難さを感じるから。
心が温かいなら、人の温かさや社会の有り難さと同じ温度なのだから、むしろ人の冷たさや社会の理不尽さに敏感になるはずだ。
いや、正確には、人の冷たさや社会の理不尽さはあるだろうが、あまり実感が湧かない。
同時に、人の温かさや社会の有り難さは、一般ではない予感がする。
心が冷たいのかも怪しい。
そも、人に心は存在するのか?
脳が作り出した蜃気楼で、辿り着いても何もないのではないか?
こう考える私は「心が冷たい」より、「心が無い」のかもしれない。
無いなら無いで、それで構わない。
吹きすさぶ冷気が留まらないから、悪いことばかりじゃない。
いや、留まらなかった冷気は手の感覚を消しているから、やはり悪いか。
やけに今夜は冷える。
誰でも良いから温めて欲しい。
錯覚でも良いから。
ぶるぶる震えながら、投稿する。