マイクロフォンを取っ掛かりに考えた。
カラオケで順番を守れずについつい自分ばかり占有してしまうマイクロフォン。
まあ、歌いたい人が歌えば良いんですよ。
マイクロフォン、と言わずに「マイク」と言った方が聞き馴染みがあるでしょうね。
私も調べるまではマイクが正式名称だと思ってました。
物名前あるある、です。正式名称を実は知らないって奴。
だから何だ?って話ですけど。
マイクロフォンを使う場所は主に広い場所で大勢に向けて喋るときですかね?
選挙だと公道を縦横無尽に走ってますけど。
ウグイス嬢やカラスボーイの声が市街を駆け巡る訳ですな。
大抵、五月蝿いな、が感想の筆頭に来てしまうのですけど。
あと、先に上げたカラオケ。
マイクロフォンに集音される私の歌声はどんなもんなんでしょう?
あ、私、音痴なんですよ。なんで、マイクロフォンさんサイドは音痴をどう思っているのかな?とか愚かしくも妄想してみたり。
…どうでも良いですね。
さて、あえて、言わせて頂くと。
何を言うんだっけ…ちょっと忘れたけど。
声が大きければ注目されるが、正しいことを言っているとは限らない。
職場でも集会でもやはり声が大きい人は注目されますよね。
単純に声を張っているだけかもしれないですけど、そう言う所から「自信」があるのかな?と思わせます。
また、何より小さい声より聞き取り易いから言い分が解るってのが大きいですね。
ただ、勘違いをしてはいけないのがその内容が「正解」であるかは別なんですよね。
よくよく聞けば、論点がズレていたり、その人の言いたい事を言っているだけだったり。
声が大きい人の意見に「そうだなー」とは思いつつ、「でもどうなんだろう?」と考えるのは大事な気がします。
もっと言えば、色々な人の意見を聞くAさんとBさんとで真逆のことを言っているなんてことは良くありますし。
能く能く話を聞けば、どちらも筋が通った意見なんてことはざらです。
そうなると、大きい声の人の意見を聞く前に自分の内にある意見が重要になって来る訳です。
しかし、自分の意見が「絶対」ではなく、「こういう風に考えてみた」位のスタンスじゃないといけないでしょう。
何故なら、自分の内の大きな声が正しいとは限らないから。他の人だけじゃなくて自分にも当て嵌ることなんですよね。
その上で他の人の意見と比較してみてより良い方向を目指す、のがベストなんでしょう。
まあ、あの意見も良い、この意見も良いだと結句決まらないから妥協点は見つけないといけないのが難しい所ではありますけど。
大きい声の人の意見がたたき台に成り易い訳だから、大きい声の人の意見が反映され易いのも事実です。
つまり、流されるにも「どうしてこっちに流れているのかな?」と流されながら考えるのが良い、と考える訳です。
何の為の脳みそかって考える為にあるのだから、流されっ放しじゃあいけないよ?
でも、そんなこと言わなくても皆様方はこの残酷な現実を生きていらっしゃるから、私のような泥人形に改めて言われるまでもないでしょうね。
マイクロフォンを片手に絶叫するのは、やっぱカラオケだけで良いか。
こんな世知辛い世の中、自分の内の声だけで精一杯です、はい。