斧を取っ掛かりに考えた。
奥深い山を押し入って百年生きた樹を切り倒す斧。
まあ、実際に樹を切り倒せる技術は林業を営む人くらいですけど。
斧と言えばRPGの武器!って人もいるでしょうね。
まあ、あんなんデカくて持ち歩けるの?腰いわさない?
剣と能力の比較されていますけど、ゲームやらないから単純に見た目で剣派な私です。
母の実家に行くと斧が現役ですね。
薪割りに使っているんですよ。
小さい頃にやってみたんですけど、まず真っ直ぐ振り下ろすってのが難しいんですよね。
筋力要らないとかその前に振り下ろす筋力が必要じゃん?
あと、有名なグリム童話の池の奴。タイトルは「金の斧」
正直者のきこりがうっかり自分の斧を池に落としたら、女神が現れて。
女神「あなたの落としたのはこの金の斧ですか?それともこの鉄の斧ですか?」と聞いて。
正直者のきこりは正直に鉄の斧と答えたら金の斧ももらえた、と前半の話は有名ですね。
後半は…忘れた。何だっけ?まあ、そこはいっか。
でも、自分でも正直に鉄の斧って言うな。だって、女神さんの聞いていることって単純にどっち落とした?でしょ。つまり、金の斧を落とした人物がいるって考えません?
だから、「あ、鉄の斧の方です」と答えるのが自然な気がする。
そこで「あなたは正直者だからこの金の斧もあげます」って言われたら…ビビるな。
だって、状況的に人外から出元不明の金の斧を人外理論で手渡されそうになる訳ですよ?多分、受け取れやワレ的な圧力もあったハズ…!
受け取らないと死ぬと本能的に感じるだろうから「あ、は、はい。ああありがとうございまふっ!」とか言って受け取るだろう。
そして、扱いに困るその金の斧を教会とかに預けてようと画策するだろうな…
さて、あえて、言わせてもらうと。
そんな大層なことではないんですけど。
長野県は良くも悪くも山しかない。
島崎藤村の「木曽路はすべて山の中にある」とありますけど。(内容は知らない)
この一文だけでも如何に長野県は山と密接なのか、窺い知れます。
長野県の魅力は色々とあるのは知ってますけど。
それでもあえて言い切れば、山しかないんですよね。
中高年の登山客は電車に乗ればよく見かけます。
日本アルプスの山々は日本の背骨と言っても良いでしょう。
でも、長野県の若者の県外に行く割合は全国的にも高かったデータがあり(探したけどなかった…)
実感としても地域参加する20代の少なさ、いなさは目に付きます。
大学は県外が多いとか、就職先がないとか、理由は大いにありますけど。
ひとえにその根底にあるのは長野県は山しかないから、だと考えます。
だって、四方八方を山に囲まれた環境より様々な情報が行き交う都会の方が勉学に向いてますし。
都会の豊富さは多種多様な人間を受け入れていますけど、山に住む長野県民の排他的思想じゃあ仕事の幅や人間関係の構築とか厳しいですし。
それもこれも山が悪い。
長野県に住むならば無視できない存在、山。
山との折り合いを付けないといけないでしょうね。
長野県に移住した人に「何で長野県に来たの?」と尋ねると。
山があるから、と答えました。
山々の美しい景色に空が開けて見えた、とのこと。
長野県に根を張る友人に「長野の何が嫌?」と尋ねると。
山があること、と答えました。
周りを高い山々に囲まれて空が狭く感じる、とのこと。
この地に人を引きつけるのは、山。
この地から人をはね除けるのは、山。
山、山、山。
どうしたって何したって切り離せられない、山の存在。
ならどうするかって…どうしようもない。
鬱陶しいけど、落ち着くのも事実。
その厳しくも美しい姿そのままに受け入れるしかない。
あーあ、山なんて。ホント、山なんて。
斧ですべての木々を切り倒そうか?いや、そんなことしたら神話の神々が蘇って荒ぶられてしまわれる。
今日も今日とて山はある、当たり前に。