セロハンテープを取っ掛かりに考えます。
折り紙とかストローとかを貼り合わせて繋ぎ留めるセロハンテープ。
子どものいるご家庭だと消費が凄いでしょうね。
私はセロハンテープを無意味に消費することがありまして。
5cmくらいの長さに切って。
その切ったセロハンテープを直角に折りまして。
そうすると二等辺三角形っぽいのが出来るので、そのまま余った部分を織り込んでいって。
透明な三角形が出来るんですよ。
それを偶に作ってはそっと置いてます。
ね?無意味でしょ?
セロハンテープの出番は古いメモ帳の背表紙がボロボロになってきて。
その補強に貼付けるのに活躍しますね。
今使っているメモ帳もセロハンテープで補強に次ぐ補強を施してます。
…あれ?買い替えます?貧乏性でごめんなさい。
輪っかは皆さん口を作ったことがあるのではないでしょうか?
特にチラシとかをガラス窓に貼る際にはチラシの後ろにぺたっと。
あ、四隅を斜めに貼る派ですか?まあ、剥がすことを考えると四隅派の方が良い気がします。
でも、裏面派である私としては、紙面のビジュアルを損なわない利点を主張します。
かかってこい、四隅派!(一応白旗は用意しておこう)
まあ、何にしても、工作に一役買ってますね。
しかし、紙とペンにハサミ等の工作用具があってもちゃんと作れるかは別。
何せ、作りたいイメージがないとね。何も出来ないわ。
そう、あえて言い切る。
「自由で良い」ほど不自由はない。
昔見た風刺漫画で自由を履き違えて壁を歩くなんてのがありました。
要は世の中のルールの中で「自由」が保証されているってこと。
逆を言えば、世の中のルールからはみ出した「自由」は認められないってこと。
制約のあるくくりがあるからこそ、自由は意味があるのです。
しかし、「自由で良い」と言われる場面があります。
ある程度の制約を示されていて、その上で「自由で良い」と。
一見、色々なことに出来そうですが、これが厄介です。
私は専門学校でデザインの勉強をしてました。
まあ、劣等生でしたけど。そこは良いんです。
それで卒業制作として、今まで学んだことを活かして制作をするのですが、その時に「自由で良い」と言われました。
劣等生な私でしたが、卒業制作についてはやりたい方向は既に決めていたので、あとはやり方さえ決めれば良かったので悩んでいませんでした。
ただ、他の人は苦労したようです。
何度かプレゼンテーションをするのですが、二転三転して中々決まらなかった人がたくさんいました。
何せ、テーマから探さなければならなかったのですから大変だったと今は感じます。
「自由で良い」と言うのは良く言えば、挑戦的なことや斬新な発想に期待されていると言えます。
しかし、悪く言えば、アウトラインだけ作ってあとは丸投げと言う無責任な態度です。
ブログなんかもそういう雰囲気があります。
アウトライン、ブログの形は示されてますが、書く内容は「自由で良い」
書きたい人は困らないかも知れませんが、書くことがピンとこない人は地獄です。
はてなブログ運営はお題を提供してますし、アフィリエイトでは商品の紹介があります。
やはり、ある程度の制約がないと発想と言うものが生まれません。
まあ、私は無責任発言をブログで上げてますが、これも自分で制約を作ったから発想が辛うじて出来ています。
今書いている記事は物から強引に思考する、と言うアウトラインです。
これから、どう結び付けようか?と云々するから長文になりますけど、記事にはなります。
「自由で良い」と言われたら、自分の中で自分ルールを作ると発想し易いかな?と考えます。
繋がった?問題ない?やっぱ継ぎ接ぎだらけ??
…うん、セロハンテープで補強しよう(頭を包帯巻き)
あ、痛いから止めよう⬅
記事を書くのに困ったら参考にしてね☆(何様?)