リップクリームを取っ掛かりに考えます。
唇がカサカサすると潤すために塗るリップクリーム。
よく唇の薄皮が剥ける私は、ポケットにいつも忍ばせてます。
リップクリームってメンソール成分がありますよね?
眠くなった時にまぶたの上からよく塗ってます。
一瞬、カッとなります。ただ、最近は効果が薄くなったような?
多用し過ぎかもしれません。
ポケットに仕舞っていた、と思っていたら、何処かに無くなるなんてこともよくあります。
まあ、コンビニエンスストアーで直ぐ買っちゃうんですけど。
帰って見つかって、古い方も取り合えずポケットに入れるまでがデフォルトです。
代替が利くからこんなことになるんでしょうね。
お?来た来た、ごほん…
あえて、言い切る。
愛とは代替や妥協を許さないことだ。
…何か、重たいテーマ?な気がする…
…いっか、書いちゃえ⬅
2016年ももうすぐ終わる訳ですけど。
来年の5月には30歳ですけど。
未だ「彼女」が居たことがありません。
「結婚」など最早在りもしない蜃気楼です。
なのに、結婚をすることを考えなければならないなんて…
高校の時点で結婚を諦めている私ですが、「普通」には成りたい。
世の中の「普通」とは、30歳からそろそろ結婚をし始めるかどうか…
「普通」から程遠い私に周りは思い出したかのように言う訳です。
「結婚をして身を固めよう」と。
最近は絶食男子なんて言葉が出てきて、「結婚」の在り方も変わりました。
しかし、ここは長野の田舎町。世間様の目が怖いのです。
私は、「彼女」が欲しくないのか?と聞かれれば欲しいです。
しかし、「彼女」が欲しい理由は、単純に性行為がしたいなっていう下衆な考えから。
そして、今までがそうであったように「彼女」が居なくても良かったのです。
「結婚」をしなければならないなら、どうにかしてしたいですけど。
妥協して一緒になった先に相手の幸せはあるのでしょうか?
そして、やはり「結婚」をしなくても私は良いのです。
代替や妥協でしか求める理由がありません。
そんな理由では、相手に失礼でしょう。
だから、代替や妥協は許さないのです。自分にも相手にも。
人を愛するには突き詰めていって、この人になら人生の伴侶にしたいと想わせなければならず。
それには自分自身を高めなければなりません。
嗚呼、故に中途半端な私には愛する資格がないのです。
まあ、ふらっと今を生きて行きます。
「彼女」や「結婚」は、「普通」の人々に任せることにします。
きっとその方がみんな幸せです。
10年後にどう感じてどう考えるかな…
うん、未来のことは未来の私に委せるかな?
人任せ風任せ、適当なことを言う口に私は今日もリップクリームを塗ります。