ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

「友達」とは何かを思考するには、言葉の定義が必要だ。

バランを取っ掛かりに考えます。

 

弁当のおかずとの間にある緑のギザギザ、バラン。

揚げ物の下によくいるイメージがあります。

f:id:uenokoeda:20161108210717j:plain

 

⬆これ、ホームセンターで買いました。

いや、何でも売っているよね、ホームセンター。

まさか、バランが買えるなんて思いもしなかった。

緑は良く映えますね!

 

でも、ホームセンターで売っているって事は買う人がいるってこと?

え、お弁当にバランを入れる?…どう言う状況?

いや、私の勝手なイメージですけど、手作り弁当にバランって何かチグハグだなって。

それだけですけどね。

 

しかし、これを買うとき初めて名前が知る人もいるのでは?

「弁当に入っている緑のギザギザした奴」の方が伝わるでしょうね。

名前があった方が良いよね?緑のギザギザしたのはバランでないかもしれないし。

雑草とか、緑でギザギザしてますからね。食べられるのだったら弁当に入ることも有り得ますし。

 

ああ、取りあえずここら辺で。

あえて、言い切る。

 

「友達」とは何かを思考するには、言葉の定義が必要だ。

 

はてなブログで身勝手に記事を上げる前。

私の思考をあげつらっていた場所はFacebookでした。

それで、Facebookでは「友達論」を結構上げてまして。

まあ、単純にどういうことを書いたのかと言えば…

 

「基本、私の考える7つの要素と3年の年月を経た人が私の考える「友達」でそれ以外は私の中で全て等しく「知り合い」である」
 
7つの要素というのは
 
1、一緒にいて楽
2、私が駄目な人間であることを理解してくれてる
3、私がその人を尊敬している
4、お互いに本音が言える
5、離れていても大丈夫
6、また会いたいと感じる
7、こちら側が友達であると認識している
と言うものです。
 
「友達のランク付けをすることは正しい。くらべることで自分にとっても相手にとっても居心地の良い状態になるから」
 
私の信条として「くらべることは正義」であると考えてまして。
故に、この言い草です。
 
「私にとって「友達」は私が尊敬が出来る人。ただ、私が尊敬が出来る人を私が勝手に「友達」だというのは相手の気持ちを無視しているのではないか。だから、私は多くの人を「知り合い」にしている」
 
私が勝手に「友達」と考える人はいるけど、実際はどうなのか?という所では「知り合い」なんですよね。
 
「私が駄目人間であることを理解して接する人が「友達」である前提にある」
 
これの根っこには「100%の私を知って欲しい」のかもしれません。
ただ、「100%の私」は大変面倒で、面倒な奴って所を理解してないと疲れますよって話です。
 
うん、拗れてるね!私はそれでも構わないけどね!
 
そんな拗れた私は考えました。
 
「友達って何?」
 
ぼっちな私には、もっとも縁遠い存在です。
遊びに行ったり、相談したりとする相手はいます。
ただ、そうした間柄の人たちを定義するのに「友達」とは言えませんでした。
 
それはバランで言うところの「緑のギザギザした奴」の部分。
「緑のギザギザした奴」はバランのことを指してますけど。
人によって「緑でギザギザした奴」はバランでないかもしれないのです。
しかし、「バラン」という物にバランという名前を付けることによって、「バラン」はバランになるのです。
 
そりゃあ、バランと言うより「緑のギザギザした奴」と言った方が伝わりますけど。
「友達」と言った方がイメージし易いですけど。
でも、そういう言葉では言い尽くせない関係性、というか。
私が拗れていますから、そんな私と付き合う方は奇特なんですよ。
 
私が納得しないから、私は関係のある方々との関係に名前を付けます。
数が少ないから、紹介しちゃいますね!(名前は伏せますけどね)
 
1、悪友
一番付き合いが長い人です。女性で今は愛知県に住んでます。
多分、言葉の定義の最初がここら辺ですね。
確か、高等学校時代に手紙を出した時に「親愛なる悪友へ」と送ったのが最初かな?
いや、悪友と言い始めたのは向こうだったっけ?ルーツを忘れたな…
ただ、彼女ではないし、友達と言うには…幸せになって欲しいと願っていたからちょっと重いし。でも、ベタベタした関係ではないし。
悪友という言葉が妙に腑に落ちるんですよね。世間一般の悪友とは違う、ってのはありますけど。
私にとって唯一無二の悪友です。
 
2、ディフレ
正式名称は「ディスカッション・フレンド」
相手は、同い年の男性です。
こう、討論?というか、その人と話をすると思いがけない方向に行くので大変楽しいのですけど。
決して、友達ではないんです。ここ、重要。
友達ではないけど、会えばお互いに疲れるくらいには話し込むので、関係性に名前を付けた結果がディフレ。
私の人生の必要な存在、ディフレです。
 
3、FBF
正式名称「FacebookFriend」です。
まあ、Facebookでの人たちですね。
私にとって「友達」は希少で崇高な物なのでFacebookの繋がりの人たちを「友達」というのに抵抗があります。
しかし、「お前は友達じゃない」と言うと悲しいと言われ、無い頭を絞って出した定義です。
え?素直に友達って言えば良いじゃない?それは遠慮します←
FBF、インターネットと私。
 
4、マイミク
mixiをしていると友達になった方を「マイミク」と呼びますね。
このシステム最高です。mixiの友達は「マイミク」、既に定義してくれてる!親切!
しかし、悲しいかな今「マイミク」と呼べる人は一人だけ。(より正確にはmixiでの関わりがあるのが)実際に会えたのもその人だけ。
つまり、現時点でマイミク=その人なので、自動的に定義されちゃってます。
これがぼっちの本領!皆私を過ぎ去っていくのさ。
過去の私の最後の一人、それがマイミク。
 
5、甚大な被害
…実は今目下関係の定義をしたい人が居るのですけど。
こう、私は友達とは言いたくないけど、むしろ嫌なところが目に付くのだけど。
何気に私の人生に影響を与えているので無視も出来ず。
何か適切な言葉で定義したいのですけど…中々難しいですね。
「甚大な被害」はその人専用のメールボックスです。
いや、本当、どういう名称が相応しいのだろうか…?
 
それぞれ、私の関係があるのですけど。やはり世間一般の「友達」とはやはり違う気がします。
人に説明するとき、「友達」と言うしかないことはあります。
ならば、どうしてわざわざ定義するのか?
それは、私がその関係性を大事にしたいから、曖昧な言葉にしたくなかった。
結句、自分のためなんですよね。
 
ただ、「友達ってなんだろう?」と考えている人がいると仮定して。
その人に向けて提案をするならば。
まずは関係に名前を付けてみたらどうでしょう?
 
言葉にする過程で、自分でも気付かなかったことに気付きますし。
相手との関係が自分にどう影響するか解りますし。
そうして、それら言葉の先にある「自分のため」になりますし。
 
まあ、リア充には不必要なことかな?「友達は友達で良いじゃん?」的な。
ぼっちにも実は不必要だけどね?「友達なんて居ないよ?」的な。
いや、何の為の考察だったの?と言われると…「仮定」ですし…私個人の話ですし…
バランバランにされてしまう前に、逃げます。
 
あ、最後に。
私と付き合ってくれる希少で崇高な読者様へ。
これからも、当ブログをよろしくお願いします。以上。