ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

@書店で立ち読みした内容を元に記事を書いても問題はないのか?

閑話休題

 

最近は車のガラスが凍っているので、暖機運転して数分車の中でじっとしています。

ハンドルを握ろうにも氷のようで、指で摘んで少しづつ慣らします。

しばらくして、前ガラスの下の中央付近からゆっくりと融けていって、ようやく視界が開けてきます。

そうして、ハンドルも我慢すれば握れるようになって、仕事へと走り出すのが日常になりつつある12月。

 

寒さでかじかんで、体調を崩し易くなっています。

受験生は追い込み、仕事納めと慌ただしくもなりますが。

うっかり寝て風邪を引く、なんてことがあるかもしれません。

十分に風邪には気を付けたいものです。

 

さて、次のブログの定めて第4弾を打ちたいとは考えてます。

まだ物色してませんけど、サクサクしたいです。

ただ、個人的に気になるブログというか、記事がありまして。

今炎上中の「立ち読み〜」の奴です。

 

どうなのだろう?まあ、話の流れが私の気にしている部分とは違う気がするのでそのことをつらつらと考えてみます。

一応、色々な価値観があるので、私個人の受け止め方、考え方であることはここに明記しておきます。

それを踏まえて、以下の考察をしてみます。

 

書店で立ち読みした内容を元に記事を書いても問題はないのか?

 

まず、書籍の立ち読みは良いのか?それとも悪いのか?

一般的に言えば、悪いことです。

 

書店の書籍は商品です。適正な価格を付けられた品物です。

書籍の価格とは、書籍の価値の市場の指標です。書籍の価値の目安です。

書籍の価値とは、書籍の内容、書かれた情報(創作等も含め)です。

その書籍の命とも言える内容を金銭を支払う前に読み、買わないのは悪いことです。

 

あと、店内で買わずに立ち尽くす訳ですから、通行の邪魔です。

少し位のその少しが意外に長かったりします。

こちらは本題とはズレるので、置いておきます。

 

私個人で言えば、消極的にですが良しとします。

タイトルや作者だけで買うには内容が解らないと自分が求めている内容かどうか判断ができない場合があります。

私は漫画でしたら表紙を見てインスピレーションで買う、通称ジャケ買いをします。

表紙の「この漫画は面白そうだな」と思わせる力があるかどうかは大事です。

ただ、小説やノンフェクションなどの文字のみを勝負するものは表紙やタイトルだけでは敷居が高いのです。

心血を注いでいるのでしょう、価格も中々の価格です。故に簡単に買えません。

なので、私の場合、前書き相当に当たる部分を立ち読みさせてもらってます。

それで、「これは買って続きを読もう」、「ちょっと私には合わないな」と判断する訳です。

 

また、立ち読みそのものを排斥すると、書店が立ち行かなくなるのではないか?と考えます。

実際、漫画コーナーに一話丸々掲載された冊子があって、あれは立ち読み用の物であることは明白です。

それから、こちらの良心に委ねている部分でもありますが、書籍を全てビニールで綴じていない訳です。

漫画はビニール綴じが普通なので、買わなければ読めません。

雑誌、小説などは紐で括られる訳ではなく、基本そのまま平積みや棚に並べられてます。

つまり、立ち読みの黙認です。それは面白ければ買ってくれると信じているからです。

読めばその面白さが伝わると信じているから、あえて見逃している訳です。

そこはニーズがあるかどうかの問題ではあるでしょうけど。

 

作者にとっては極論、買って頂ければ良いのです。

内容の是非は別にして、買われないと収入が入らないからです。

作者本人は読んでもらえれば買ってくれると信じて書いた内容だとも言えます。

ここでもニーズがあるかどうかの問題はありますが、立ち読みの問題で考えれば、出会いを増やす意味で有効です。

 

なので一般的には悪いことでありますが、私は消極的に立ち読みをしても良しとします。

 

その上で、立ち読みした内容を記事にしても良いのか?

こうなると問題が少しややこしくなったような気がします。

要は、道徳だとか倫理の問題だとは言えるでしょうけど。

 

例えば、図書館で立ち読みして、借りずに帰り、その内容に言及なり引用なりした記事を書いたとします。

これは問題ないように感じます。

何故なのか?

 

無料で書籍を期間限定で貸すのは、学生やこどもなどお金がない子ども達に知識を広めるのに役立ってます。

辞書や資料を保管しているのは、それを必要な人がいて、調べたりするのに役立つから。

収斂されることは、図書館は知識の共有が目的であるということ。

 

そも市町村運営であれば、税金で運営されている訳ですから、既に支払いは終わっていると言える訳です。

 

なら、書店の立ち読みした内容を記事にするのは良いのか、悪いのか。

一般論で言えば、悪いでしょう。

先の述べた、「書籍の内容=書籍の価値」です。

あまつさえ記事にする訳ですから、尚のことです。

 

私の消極的に良しという観点で言えば。

記事の内容を拡散する訳ですから、一種の宣伝になります。

わざわざ文章に起こして書いているので、興味を持った方が読む可能性があります。

むしろ、宣伝=労働をしている位なので、尚良いことと言えます。

 

しかし、私が引っかかるのは、買わずにその書籍に言及、引用することです。

記事にするのは、書籍の内容に何かしら引っかかりがあったと言うこと。

何かしら引っかかりがあったことは読者の価値観を揺さぶった訳です。

書籍の内容の価値とは、読者の価値観を揺さぶること、と考えます。

 

そうすると、私の中で矛盾が起きます。

書籍を買わないのは、書籍の価値がないから。

書籍の言及、引用の記事を書くのは、書籍の価値があるから。

 

買うという行為は、作者及び出版社に敬意を示すことでもあります。

敬意を示すのは、価値観を揺さぶってくれる驚きを提供してくれるから。

その支払った金銭が、作者の懐に入れば、また新しい書籍が生まれる可能性が上がります。

つまり、回り回れば、自分のために支払うべきと考えます。

 

なので、立ち読み自体は細々としても良いですけど、記事にするのであれば、その書籍を買ってからにする。

その記事を書いたことによって、自分にとっての利益(読み手が読んでくれる)訳ですから、そうした方が良いでしょう。

 

そも、小説家や記者などとブロガーを一緒にはできませんが、書き手という点に置いてお互いに尊重する姿勢は大事なことのように感じます。

私事ではありますが、中々に書くのは大変です。

書く事に疲れて辞めてしまう人がいることもちらほらと聞いています。

そうして苦労して書いて出された物を大事にしたいな、と私なんかは考えます。

 

以上で立ち読み云々の考察は終わりにしたいと思います。

皆さんはどう思いになられたでしょうか?

まあ、そんな深く言っても仕方がないかもしれませんけど。

私はちょっと気になったので、思わず記事にしちゃいました。

 

長々と駄文を失礼しました。