ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

「労働」をしていれば何れ正当な「相応の対価」がある。

労働を取っ掛かりに考えます。

 

労働、それは社会の繁栄と安寧のために人々が身を粉にして働くこと。

労働、それは幾ばくかの金銭を得るために社会に従事すること。

労働、それは面倒で疲れること。

労働、今とてもお前が恋しいよ。by30歳無職

 

労働について考えますけど、商才がないので切り口が雇用される人間の思考になります。

と言うか、正直必要最低限の労働で心のオアシスが涸れない程度なら雇われで構わない私がどうこう言っても微妙なのですけど。

キングコングの西野さんのweb上の無料公開で盛り上がっているらしく?

それで、メルマガさん(知人)から労働について以下のお題目を何となく頂きまして。

 

「何かしらの労働にはそれ相応の対価を支払うのが大事」

 

お題目を頂いた時に面白いな、と感じまして。

ちょっとそろそろと書こうかな?と。

まあ、軽く聞き流してください。

 

まず、問題?になっていることを西野さんがブログでコメントしています。

 

キングコング 西野 公式ブログ - 絵本とフリーミアムの相性 - Powered by LINE

 

所感は、「西野さんは真面目にやっているのね」ですね。

フリーミアムと言うのは初耳です。評価経済?さっぱりですね!

そういうのを勉強して実行していて、「何かすっごい弄られている人」と言う印象でしたが、このブログを読んで「真面目だな」という印象に変わりました。

 

それで、ブログで紹介されている画像について。

正常な循環は「そうだろうな」と感じました。クリエイターが作った物に対して欲しいと言う人がそれに見合った支払いをする行動は正しいでしょう。

ただ、2枚目の画像はちょっと良く分かりませんでした。無料で何かを配布したとして、何でそれがクリエイターが食っていけないことに繋がるのか?

最初は大多数の人間が無料で配布することが前提なのかな?と考えました。全体のシステムとして「無料で配布する」ことが前提になれば、市場の死になるでしょう。

ただ、読み進めてみるとどうやら西野さんの発言___

 

「お金がない人には見せませーん」ってナンダ?糞ダセー。

 

この部分だけがクローズアップされてしまって、「労働は無償にすべき!」と捉えられたようだ、とあります。

しかし、ブログを全て読むと西野さんは決して「労働は無償ですべき!」と言う論調ではなく、「一部無料で公開しても問題ない」と言うことが伺えます。

絵本に限らず、漫画の一話を丸々無料公開は普通にしています。それで漫画を買うかどうかは消費者が選択することです。

でも、漫画の一話を無料公開したからと言って、漫画業界が衰退したとは聞いていません。

同じ情報でもデータと紙媒体では付加価値が違うのは感覚的に分かります。

情報が欲しいならデータで事足りますが、表紙の美しさや、本で捲る時間などは紙媒体でなければ得られませんし、電子書籍があっても紙媒体の魅力はなくならないでしょう。

 

なので、西野さんの主張は正しいと考えます。

書籍媒体にはフリーミアムという方法は有効だろうな、も併せて賛同します。

 

次いで、労働の対価で言うと金銭が一番分かりやすいのでしょうけど。

私は社会の維持、発展の発展がポイントだと考えます。

 

例えば。

朝、起きると雪がこんこんと降り積もっています。

寒くて仕方がなく、このまま眠り続けたくなります。

しかし、そうすると雪はどんどんと降り積もり、やがてはドアを圧迫して外に出られなくなるでしょう。

だから、雪かきと言う「労働」をします。しかし、この場合に金銭は発生しません。

重たい雪をせっせと端に除けて、自動車や人が通れるように工夫する「労働」をしているのに1円も貰えません。

もちろん、行政や道路事業者が雪かきをすることがありますが、私の家まで一から雪かきをしてくれません。

しかし、雪かきをしたことによって、道を歩けるようになりますし、自動車を出すことができるようになります。

 

「労働」には「相応の対価」を支払うべき、と言うのは、私はこんなに頑張ったのだから、誰か認めて欲しい!というようなことではないでしょうか?

また、ホテルなどのサービスという「労働」に会社は金銭を支払うのは当然だとして、「相応の対価」とは一体なんなのか?と言えば、「より良くする」ことをしようとしたことへの見返りです。

私は「労働」をすることによって「より良くする」ことをすれば回り回って自分のためになると考えます。

雪かきはお年寄りは腰が痛くなりますから、私がせっせと雪をかきます。これが私が歳をとったときに私より若い世代がせっせとしてくれるだろう、と言う信頼です。

「労働」の真価とは、未来への投資であり、自分の未来がより良くなるための行動です。

故に、「労働」の「相応の対価」とは。

あえて、言い切る。

 

「労働」をしていれば何れ正当な「相応の対価」がある。

 

西野さんは社会が良くしようとするのは、自分のためだ、とブログでも書いてます。

「労働」とはまず、社会なり生活なりを「より良くする」ための行動であることと考えるので、この部分も賛同します。

こう書いていると、西野さんの考え方は割と私の考え方に近いのかもしれません(何てちょっと気持ち悪いことを考えましたけど)

 

私の前提が「支払い」はあることを前提にしているので、「支払い」がないこと(ブラック会社など)の視点ではありません。

その部分はまた考えなければならないでしょうけど、基本は「より良くする」ことが本質なのではないでしょうか?

 

無職が偉そうに「労働」について語っていますが、やはり聞き流してください。

皆さんのたゆまぬ「労働」が実を結びますように。