ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

社会の歯車になることで、幼女の笑顔が守られて、世界が大きく変動する。

仕事の歯車を取っ掛かりに考えます。


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スマートフォンの電源を切って、布団の中に潜ってました。

目覚ましアラームが鳴らないように。

今日は休み、18時間ほどがっつり寝ました。

いつもが6時間くらいなので3日分の睡眠です

 

身体の節々が痛いです。特に脚。

身体が重く感じるほどではないですが、一々動くのに「よっこらせ」と言います。

明日からまた仕事。2日までなら何とかなりますが、3日4日と働けば身体が硬直していくような感覚になります。

怠けたツケが身体にのしかかっています。嗚呼、怠けたい。

 

工場の周りにコンビニエンスストアは自動車で10分ほどの距離。

仕事が終わると疲れがあります。途中で寄るより早く寝てしまいたく家路に一直線です。

今回の休日は自宅で過ごしましたが、遠出するには時間と体力が追い付いてません。

まあ、未だ1週間も経っていませんけど。

 

これから1年は代わり映えしない仕事に追われることでしょう。

出会いはないでしょうし、消費もする機会が減りそうです。

これが社会の歯車になるということかもしれません。

 

それにしても「社会の歯車」になることを悲観される方がいます。

一体自分は何のために働いているのか?分からなくなるのかもしれません。

私の働いている工場は油揚げを延々と揚げてます。

果たして油揚げにそれほどの需要があるのか?それこそ365日24時間稼働するほどの意味があるのか?

食品ですから賞味期限が過ぎたら廃棄されることを考えたら、365日24時間稼働しないと品薄になるのでしょうけど。

 

心を無にして油揚げと向き合う日々。

給料の使う当てもなく、休日は家にへたっている。

そんな労働に意味があるのか?自分はこんなことをするために産まれた訳じゃあない!

と、「社会の歯車」を否定する人たちに言わせれば私の環境はそういうことでしょう。

 

しかし、それは「私」に視点が当てられているからそうなる訳です。

これが「幼女」だとしましょう。

失敬、「油揚げが大好きな幼女」です。

そうなると話が変わります。

 

油揚げが大好きな幼女の誕生日におばあちゃんはお稲荷さんをこしらえます。

お稲荷さんの中にはさくらでんぶの鮮やかなピンク。しゃきしゃきの筍も入っています。

そして、油揚げ大好きな幼女の家に持って行きます。

油揚げ大好きな幼女が家に帰るとおばあちゃんがいて、大好きなお母さんとお父さんがいて。

そして、食卓には大皿に乗ったお稲荷さんを見つけて、満面の笑みになる油揚げ大好きな幼女。

こうして小さな家庭が幸せになるのです。

 

今度は「ロリコン」に視点を移しましょう。

失敬、「優秀な紳士」ですね。

これでまた話が変わります。

 

日々、社会との軋轢の中生きる優秀な紳士。

公園のベンチでため息を吐いていると、油揚げ大好きな幼女がおばあちゃんと一緒に歩いています。

昨晩はおばあちゃん特性のお稲荷さんが出て「お稲荷さんは美味しいね!」ときゃきゃとはしゃいでいます。おばあちゃんはにこやかに聞いています。

その微笑ましい光景に優秀な紳士も思わずにっこり。

癒された優秀な紳士は颯爽と仕事に戻ります。

後年、優秀な紳士は仕事を認められ、世界を動かすプロジェクトのリーダーに抜擢されます。

 

何ということでしょう。油揚げで世界が動きます。一大事です。

 

もしこれで工場が閉鎖したら、油揚げが作れなくなります。

そうしたらおばあちゃんは油揚げを買えなくなるかもしれません。

誕生日にはバースデーケーキだけで、もちろん嬉しいけれど、お稲荷さんがなくてがっかりする油揚げ大好きな幼女。

ちょっぴり元気がない油揚げ大好きな幼女を見て心配になる優秀な紳士はそのことが頭から離れず、その日は仕事でミスを連発します。

後年、プロジェクトリーダーに親の七光りで入社した馬鹿息子になり、プロジェクトが頓挫します。

 

何ということだろうか。油揚げがないと日本が危うい。一大事です。

これがバタフライ効果でしょうか。

 

実際、「油揚げ大好きな幼女」や「優秀な紳士」が実在するか?は分かりません。

しかし、実在しないとも言えません。日本規模で言っても1億人いますからね。有り得ることです。

あえて、言い切る。

 

社会の歯車になることで、幼女の笑顔が守られて、世界が大きく変動する。

 

何が善で何が悪かなんて、結句主観でしかないのです。

社会の歯車が悪いなんていうのは、間違っていないけど正しくもありません。

社会の歯車になることは、それで社会が回ることを意味してます。

良いじゃない、社会の歯車。ロボットになろうぜ?

 

ただ、私は悲観主義者。無能である私が果たして社会の歯車に成れるのか?

正直、しんどいしな。「慣れるまで我慢」とは言われたけど。

はあ、怠けたい。怠けて腐葉土の一部に成りたい。

長野の山奥で咲く季節外れの桜があったら、その下には私が眠っていると思って下さい。

 

ネガティブにネガティブに。私自身を信じるな。

恐れ多くもデカルトに真っ向勝負?いや、速攻論破されるだろう。

私の追求と社会の在り方は別ですよ?と言うことを一応書いときます。

 

皆さんの仕事ぶりが認められますように。

何はともあれ、これで良し。