贅沢を取っ掛かりに考えます。
休みを寝て過ごす。贅沢とは無駄を楽しむことです。
豪奢な家の部屋とかあんなに要りませんし、珍味な食材をちょびっとで大金使ってもお腹は満たされません。
如何に無駄を楽しめるかが大事かな?と考えます。
贅沢は敵だ、は戦中の日本で使われていました。
2016年8月時点で71年前、今年で72年と言う訳です。
60の還暦をすべて1周した上で、更に2周目1順目が終わる頃合いです。
私の年齢の2倍強の数字、10年でさえ果てしなく遠く感じるのに72年、最早古典の域です。
節制して苦難に耐えていた、と記録やご年配の方の話で聞きます。
バブル時代は、贅沢と言うか、フィーバーしていたような印象です。
今の時代は何だろう?私は多様化の時代だと位置付けてましたが、節制や贅沢も多様化している気がします。
そして、トランプ大統領やイギリスEU脱退など多様化の飽和から個の回帰が起こっている、のかもしれません。
そうだとすると、節制や贅沢の回帰が起きるのでしょう。
節制や贅沢の回帰とは何か、と言えば…本当に必要なモノと不必要なモノが区別されると言うことかな?
個の回帰と言うのは、「私とは○○であるはず」と探ることだと考えてます。
節制と贅沢で言えば、何が節制で何が贅沢か、つまり何が必要で何が不必要かを考えることではないかな?と。
あえて、言い切る。
これからの時代は必要なモノが答えられた方が良い。
うん、まあ、無学な私の想像のみの見識なので、専門の有識者の方のように示せるデータなどありませんけど。
間違っていても、必要なモノが何なのか答えられたらとりあえず困らないような気がします。
皆さんにとって必要なモノが何か分かりますように。