反抗期を取っ掛かりに考えます。
私には反抗期があっただろうか?いや、ない。
私の記憶に両親に対して暴力暴言、無視をした覚えが全くない。
だから情緒がおかしいのか?そうかもしれない。
普通は思春期にそうした経験を積むはずでしょうから。
中学の時、友達Yの家に遊びに出かけたことがありました。
Yは砕けた口調で話す陽気な奴で何故か偶に私に声をかけてくれていた。
私の狭い交友関係で割と仲の良い方でした。
そんなYの家の居間に通され座っていると、Yの母が挨拶に顔を出してきました。
すると突然Yが「おい、ババア!どっか行けよっ!」と怒鳴ったのです。
多分、反抗期の暴言だとは思うのですけど、当時の私はドン引きでした。
母親に向かって「おい、ババア!」と怒鳴ることが信じられなかったのです。
急に大声を出されたことも驚きました。そんないきらなくても…
よしんば、「おい、ババア!」がYの母親が気にしていないのであったとしても、友達の前で言う?せめて「母さん」と言えなかったのだろうか?
思春期の人は言えないのでしょうね…これは「おふくろ」と似た恥ずかしさでしょうか?また別物??私にはさっぱりです。
小学校の恩師が思春期についてこう述べていました。
「大人に成った時、『ああ、あの時は反抗期だったな』と思うときがある」と。
しかし、30歳を目前に私は振り返ってみても、どうにもそれらしいことが思い付きません。
高校の時に母が冗談めかして私に言いました。
「お前はずっと反抗期だ」
両親の言うことを素直に聞かないことが反抗であるならば、私は30年間ずっと反抗期です。
父に対して私は臥薪嘗胆の主人公のような良くない感情を抱いてます。
しかし、父に対して反抗的な態度をしてはいません。
また、良くない感情の原因は父の祖母についての言動諸々です。
逆を言えば、それだけで他は「プライドの高い天気屋」と言う認識程度で普段は全く気にも止めてません。
むしろ、「こんな不器用な生き方でさぞ生き辛かっただろう」と同情にも似た感情を抱くこともあります。
父に私のことについて扱き下ろす発言があったとしても、「そうなんだよなー」と答えます。
何せ、事実ですからね。認めるしかありません。
人は本当のことを言われると怒る、と言われています。
しかし、私の場合、本当のことを言われると楽しくなります。私にとって本当のことは寄り添うべきものです。
どちらかというとデタラメなことを言われた方が腸煮えくり返ります。
まあ、断腸した母猿のようなことはないですけど。と言うか、それほど怒ることってないですし。
何事にも怒れない人はきっと何事にも関心が持てない人間なのでしょう。
私は何事にも関心がない人間なので、怒れないだと推察します。
実際は、どうなのでしょうか?人付き合いが希薄だからそれほど怒る案件がないってだけかもしれません。
何れにしても、人生で怒ったのは片手で数えるくらいなので、基本が詰まらない人間なのでしょうね。
もし、私が反抗期になったら…いや、多分両親の存命中になることはない気がする。
反抗する相手がいなくなってから、反抗期…?それはただの困ったちゃんでは??
やはり、私には縁のないことのように感じます。
あえて、言い切る。
反抗期がなくても、それなりの人生は歩める。
それなりでも良いじゃない?幸せなら。私は幸せですし。
今日もコーヒー飲んで、漫画買って、布団で一眠りと怠惰の極みを過ごしました。
反抗しなくたって、言葉を選んで本音を伝える術はありますし?
現在、母との関係は私史上最も良好な関係ですからね。反抗期のない私でも大人に成れる訳ですよ。
でも、反抗期がある方が自然ですから、「反抗期がない方が良い!」とは言いません。
結句、その人自身の気持ち次第です。自分と向き合おう、それだけです。
何はともあれ、これで良し。