ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

【あなたが眠るまで。】その7

4.とおりゃんせ、とおりゃんせ

 

不思議と身体全体を覆っていた浮遊感はなく、地に足が着いている感触が僕を落ち着かせた。

いや、彼女の一言で僕にかかっていた霧が取り払われたから、何となくそう思えた。

しっかと真っ直ぐ立てていると言うのは、こんなにも勇気が出るものだろうか。

僕はすっと身体を天に向かって伸ばすと、彼女の顔を見た。

「ありがとうございます。大分落ち着きました」 

「そう…確かにさっきよりは良いみたいね」 

彼女は僕の目を覗き込むと、そう一言言った。

その言い方は僕を操る何者かが隅に追いやられているのを見ているようだ。

そして、僕の中にある弱々しい自分の姿を見透かされているようでもあった。

ただ、恥ずかしいと言う感情よりも、僕は穏やかな気持ちが勝った。

それは彼女の目に映る優しさを僕は知っている気がしたからで、内心首を傾げた。 

「お兄ちゃん!お兄ちゃん!」 

カケルが叫んでいる。僕はハッとなって社に身体を向けた。

カケルは道半ばの所で立っていて、必死に僕の名を呼んでいる。 

「お兄ちゃん!何しているの!?早くこっちにお出でよ!」 

「カケル!そっちは駄目だ!そっちには行ってはいけない!」 

僕は喉に張り付いていた言葉の端をカケルに訴えかけた。

それでもカケルはその場から動かない。 

「何で!?お兄ちゃん、こっちに来てよ!」 

カケルは今にも泣き出さんばかりに僕を見ている。

カケルはどうしてそんなにもそちらに行きたがるのだろうか?

カケルは何か知っているのだろうか? 

「そっちに行っては、駄目」 

僕の横に立つ彼女はそっと僕に言った。

彼女の言葉は僕の胸に静かに入ってすっと溶けていく。

彼女も僕と同じ思いなのだろう。

でも、この人は一体何者なのだ? 

「お兄ちゃん!こっちだよ!」 

「駄目。鳥居の中は危険よ。離れて」 

カケルの声と彼女の声が僕の周りを取り囲む。

一体今何が起こっている?

僕は突然の二択に困惑した。

どちらかを選ばなくてはならない。

しかし、どちらを選べば良いのだろうか?

がやあー、がややあー

そうして僕が決めかねている間に、朱い何かがまた鳴きながら、こちらに向かって来ていた。

カセッ、カサカス 

乾いた木の葉の音が石畳の上を転がって行く。

その木の葉はカケルの足に当り、動きを留めた。

社に吹く風はその木の葉を絡めとると、木の葉は深い闇の中に吸い込まれて消えていった。

しかし、カケルは木の葉の行方など気にも止めず、僕を呼んでいた。 

「お兄ちゃん!こっちに来てよ!どうして、こっちに来ないの?社に行こうって言ったのはお兄ちゃんでしょ?!早く、早くこっちに来てよ!!」 

「カケル!兄ちゃん、社に行こうって言ったよ!でも、何て言ったら良いか…その社は変だ!そっちは、危ないんだ!だから、こっちに戻って来い!」 

「何で?何で、変なの?僕、分かんないよっ!お兄ちゃんがこっちに来てよ!」 

「それは…兄ちゃんも上手く言えないんだ。兎に角そっちは危ないんだ。カケル、良い子だから、こっちに来なさい。」 

「だったら、お兄ちゃんが僕を迎えに来てよ!そしたら僕もそっちに行くよ!」 

カケルはそう言って後ろを向いた。

何が原因なのかさっぱり分からないが、カケルは意固地になっている。

どうして僕の言う事が分からないのか、僕は苛立ちながら、それでもカケルを迎えに行こうと鳥居の中に足を入れようとした。

その時、僕の横にいる彼女はそっと僕の手を握ると、すっと後ろに引っ張った。 

「駄目。いけないわ」 

「…でも、弟を連れて来ないと。カケルは僕が迎えに行けばこっちに戻ると言ってます」 

「駄目。あなたがしようとしていることは間違っているわ」 

「間違っている?ただ弟を連れて来る事が?」 

「…この鳥居には迷い人を誘い込むとても古い呪詛が張り巡らされているの。迷い人が入れば、こちらとそちらの境目が無くなって、閉じ込められる。ここに入れば、あなたは出られない」 

「は?じゅそ?境目が無くなる?君は何を言っているんだ?」 

「私の言葉が分からなくても、本当はあなたも分かっているはずよ。鳥居の中にあなたは、入ろうとしていない」 

二の句が告げられない。

彼女の言う通り、僕は臆病にも鳥居の外からカケルを呼ぶだけで、鳥居の中に入ろうとしていない。

それが事実だ。

だが、僕は彼女の言った現実に耐えられなかった。

僕は今まで募っていた苛立ちを彼女にぶつけた。 

「じゃあどうしろって言うんだよっ!!カケルはもう、中に入っちまったんだっ!!どうすりゃ良いって言うんだよっ!!」 

「落ち着いて。…あなたはどうやって鳥居の外に?」 

…そうだ、僕を引っ張ったのは一体誰なのか、そして、その人物は僕の目の前にいる。

彼女は変わらず真っ直ぐに僕を見つめるとこう告げた。 

「私は呪詛の解き方を知っている」 

「…君は一体、何者なんだ?」 

僕はほとんど無意識にその質問をした。

彼女は一度目を伏せるとぽつりとつぶやいた。

それはコップに滴が落ちた音ほどの静けさで。

「…ミカヅキ、私の名はミカヅキ。それしか言えない」 

彼女はそう言うと、そっと顔を上げた。

その目には、彼女の名のように細くも明るい三日月の淡い光のような優しさが感じられた。

 僕が鳥居の中に入れば、この異空間から抜け出せなくなる。

それは呪いだか何だかのオカルトめいた力の所為で、僕がカケルを助け出す事は不可能らしい。

でも、彼女は、ミカヅキはこの中に入っても鳥居の外に出られるらしい。

つまり、ミカヅキならカケルを助けられると。 

何だか都合の良い話だ。

カケルを助けたい。

でも鳥居の中には入りたくない。

そんな僕の醜い願望を叶えてくれる人がいる。

作り話ならあまりに稚拙なことこの上ないが、僕はその作り話に卑怯にも縋ろうとしている。

自分の嫌らしさを自覚する他ない。 

ただ、それとは別にミカヅキを僕はほとんど無条件で信頼していることに少なからず疑問を感じていた。

彼女自身がすでにオカルトだ。

こんな容姿を持った人間が居ることを僕は未だに信じられない。

そもそも、彼女が僕を助ける動機さえ分からない。

なのに、ミカヅキの言葉を僕はすんなりと聞いている。

今さっき会ったばかりの女性の突拍子も無い話を僕は根拠もなく信じている。

一体どうしてだろうか?

もしかしたら、彼女はあの木の怪物の手下ではないか?

いや、それはない。

ミカヅキからはこの空間に在る不気味な圧力を感じない。

僕が感じるのは、僕を心配する気配だけだ。

それは姉が弟を見守るような温もりのあるものだ。

そうだ、彼女は始めから僕を知っているようだった。

そして、僕も、彼女を、知っている? 

「私がカケルくんを呼ぶわ」 

ミカヅキが僕にそう言った。

僕はどうして、と言おうとして、止めた。

彼女の目はとても真摯に僕を見ていたから。

考えるのは、今はよそう。僕は彼女の目を真っ直ぐに見た。 

「お願いします」 

彼女は一つ頷くと、カケルと向き合った。

その時見た彼女の横顔は、やはり『美しい』と思えた。

ミカヅキは僕と入れ替わるように鳥居の前に立った。

彼女の長い髪の先が風でなびいている。

その様子は戦場に向かう女神像を思わせて、僕は彼女の後ろ姿をまんじりと見つめた。 

「カケルくん。こんにちは」

ミカヅキはカケルに声をかけた。

カケルはこちらを向く。

その顔は不機嫌に顔を歪めている。 

「お前は、誰だ」 

声はカケルの声だ。

しかし、その声音は敵意に満ちている。

あんな乱暴な言葉遣いを僕は聞いた事がない。

弟のこんな様子を見たのは初めてで、僕は心臓が跳ね上がったのを感じた。 

「…私はミカヅキと言います。」 

「名前なんて聞いてない!『お前は誰』だ!」 

「…私の名以外は、言えません」 

「何で?!『お前は誰』なんだ!」 

「答える事は出来ません」 

「答える事が出来ないのって、隠し事があるからでしょ!お兄ちゃんを騙してるんだ!」 

「いいえ、違います。私は彼の味方です」

「ウソだっ!お兄ちゃん!そいつの言う事を信じちゃ駄目だよ!」 

「…カケルくん。私がそちらに行きますので、こちらに来ましょう」 

「嫌だ!僕は絶対にそっちに行かない!お兄ちゃんが来てよ!」 

「なら、彼と一緒に私もそちらに行きます」 

「!何でお前も来るんだ!お前は来るな!」 

「良いんですか?私を拒めば、彼はそちらに行きませんよ?」 

そう言われたカケルは息を短く吸うと、怨敵に巡り会ったかのような顔つきでミカヅキを睨みつけた。

当のミカヅキの表情は分からない。

が、先程の声の調子は何所か挑発的で、カケルをわざと怒らせているようにも思えた。

そして、彼女は揺るぎなく前を見据えていて、カケルの眼差しを一身に受けているようであった。

 

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