どうも、気持ちの浮き沈みが激しい。
40cmオーバーの大物のタイが食い付いた浮きのような浮き沈みだ。
今は結構、沈んでいる気がする。
考えるに、仕事に日常が蝕まれているからだろう。
1日の大半を働くことに費やして、残りの時間は翌日の働くために投資して。
働くことと働くための間の隙間の働かない時間で思考する。
しかし、働かない時間で思考する思考は、脳が働かないためにまるで思考できていない。
ちりぢりになった日本語の断片を積み木遊びのように弄んで、思考を持て余す。
気付けば、昨日と同じ積み木の城が出来上がる。
働かなければ生きていけない。
しかし、働いていると思考が奪われる。
奪われた思考に残るのは、機械のようなルーティーンだ。
それはそれで、怠け者な私には有り難かったりする。
何も考えず、何も思わず、同じことをするのは楽だから。
ロボットでいること自体は、それ相応の幸せの享受がある。
だから、この漠然とした不満は、我侭だ。
スーパーでチョコ菓子を買って欲しいと駄々をこねる子どものような我侭だ。
または、寝ている間に誰かが代わりにトイレに行って欲しいような我侭だ。
無茶を言っている、と自覚はしている。
それでも、何となく、もう少し思考したい。
仕事で日常が蝕まれるのは、嬉しい反面、困っている。
どうも、気持ちの浮き沈みが激しい。
明日辺り、浮上してくれたら良いのだけれども。
これもまた、我侭な願いと知りつつ。
投稿します。