ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

@読者登録しているブログを整理する。

閑話休題

 

読者登録しているブログを整理する。

何を突然、酔狂なことを驚かれた方もいるかもしれない。

直言したい方もいるかもしれないが、まずは私の言い分を聞いて欲しい。

 

はてなブログの読者、気に入ったブログを定期的に読んでくれる人。

多少なりとも、琴線に触れる記事があれば、読者としてそのブログをフォロー、即ち読者登録する。

当ブログも有り難いことに、70人(2017年9月16日時点)の方が読者登録されている。

 

当ブログの詰まらなさは折り紙付きであるが、その詰まらなさが逆に良いのか、当ブログの読者さんの琴線に触れたようだ。

有り難さで咽び泣くような心境になりながら、読者登録返しをする。

 

当ブログが1年と過ぎ、ふと読者登録したブログを流し見てみる。

すると、顎が外れるほどあんぐりと開いた口が塞がらなかった。

開いた口が塞がらなかった理由は、主に2つだ。 

 

1つ、更新が全くない。

「ブログに記事を毎日書くぞ!」と書いていたあの人やあの人…

ある日を境にぷっつりと更新していないブログが多々あるのだ。

ぷっつり切れる前には、何かしら忙しそうな雰囲気はあるものの、普通に更新している。

「最近は書けてないけど、これからも宜しく!」と早い段階で次の記事を作成する意欲を存分に見せて、ぷっつりと更新しなくなっている。

更新していないから、どんどん後ろの方に回されていく。

そうして、更新していないブログが海底に沈む錆びた碇のように、静かに横たえているのだ。

 

2つ、ブログ記事を1回しか読んでない、または、1度も読んだことがない。

私のブログを登録されたら、積極に読者登録返しをしている。

読者登録返しを批判する意見もあるが、私は読者登録返しにおいては肯定派だ。

まず、読者の皆様は十二分にお分かりだろうが、本当に詰まらないことしか書いていないのだ。

そんな詰まらないブログを登録してくれる人が書くブログとはどんなのか?普通に気になる。

書いている内容が私が興味のないことでも、読んでいくと新しい発見や面白い発想に巡り会える。

受け身な私にとって、読者登録返しは、思いがけない思考の出会いなのだ。

しかし、今回の流し見で、記事を読んでいないブログがそれなりにあることが分かった。

私の無関心が炸裂している様が在り在りと浮かび上がったのだ。

 

この状態は果たして、健全なのだろうか?

ふと、疑問が頭をもたげた。

このまま読者登録をしていて良いのだろうか?

 

普段の私なら、整理などしないでそのままにする。

 

mixiでは、投稿しなくなったマイミクをそのまま残している。

1人、また1人と消えて、今はたった1人だ。

 

Facebookは、ネットワークビジネスの類いだろうと、エロサイトへの誘導目的だろうと友達申請されれば即応じる。

お陰で500人の方と友達になったが、ほぼ知らない人だ。

 

mixiFacebookも、私は「繋がる」ことに重きを置いている。

復帰した時に迎えられるように、mixiのマイミクは整理しない。

ひたすらに「繋がる」ために、Facebookの友達は整理しない。

 

では、はてなブログはどうか?

はてなブログは「繋がる」ことより、「内面の追求」に重きを置いている。

なら、読者登録しているブログは何か?

私の「内面の追求」に付加、疑問、追求するのに外部の刺激として「読む」ために読者登録している。

 

しかし、現状、更新していないブログや、全く読んでいないブログが跋扈している。

台風が近付く曇天の、生えっ放しのススキの荒野のような、寂寥とした空間になっている。

この現状に、私は、「読む」と言う行為を蔑ろにしてはいないか?と感じた。

 

私は何かを欲するとき、よく吟味する。

靴を買う時は、丈夫で長持ち、防水加工してある、値段が手頃で普段の服装と合う靴を棚を行ったり来たりして選ぶ。

スマートフォンを買う時は、どのメーカーが良いのか調べ、デザインを見て、また調べてを繰り返して選んだ。

長い期間を使う物つもりだから、自分が納得した物を買いたい。

 

このブログは長く「内面の追求」をするために、よく吟味したい。

納得して、先に進めたい。

そうしたとき、新たな刺激として「読む」ブログはよく吟味した方が良い。

私のエゴに重きを置くならば、私が「読みたい」と納得したブログでないと筋が通らない。

故に、読者登録しているブログを整理することを決意した。

 

暴君が如き、乱暴で非情なことだ。

ブログを登録しておいて、登録を見直すなんて傲慢かもしれない。

それでも、「内面の追求」、私自身のために、やる必要があることを承知して頂きたい。

 

…これで良いのだろうか?間違えている気もしなくもない。

間違い続けた人生だからこそ、選択することの怖さが付きまとう。

戦々恐々としながらも、それでも断行…

 

後は野となれ、山となれ。