ひんやりとした部屋の中、軽く咳をする。
まだ風邪は居残っているご様子だが、その他の器官の異常はない。
ほぼ治った、と言って良いだろう。
日光東照宮観光で、小雨振る中、傘を差さずに歩いたのがいけなかったのかもしれない。
絹糸よりも細やかな雨に、境内は少し暗く、神おわす気振りをより深めていて。
神聖さ3割り増しでテンションMAXの私は、半日を使って、幻想の世界に浸っていた。
その時は、その時のテンションに任せていたが、帰宅して、仕事に向かう途中から、具合が悪くなり。
あれよあれよと言う間に風邪っ引きに。
寒い季節になってきたのだから、気を付けないといけない、とまた咳をしながら考える。
さて、3連休明けの日と、風邪を引いて療養していた日の、計3記事の短文記事を書き直し作業がある。
770文字を3回、2310文字以上をひいこら言いながら書く。
私が真面目に書いた時の1記事分の分量に…
書き直しても、誰も読まない。
タイトルが数字だから、検索でお目当ての記事にはならない。
当ブログで「あの記事は何処だっけ?」と探すにも、やはり数字だから、書いている私でさえ見失う。
その上、書かれている内容が、これまた何の益にもならないことばかり。
投稿した日なら読まれても、投稿し終えた後の書き直しなど、誰も読まない。
誰も読まないのに、書き直す意味は?
それは、私のため、なのだが、自信がない。
というのも、いつもいつも私は、自分で決めた約束事を破ってきたので、約束を守った先が想像できない。
頑張らない人間の醜悪な末路、30歳になって未だ精神が幼い私。
それでも、私には珍しく、ブログは継続できている。
いつもの私なら、何処かで放置して、何ヶ月後に何食わぬ顔で記事を書くのだ。
ある意味、ブログを書くことに縋っている。
気色悪い、と俯瞰して見ている私は言う。
しかし、手放すつもりもない。
いや、手放してしまったら、また後ろから「ほら、また破った」と嘲笑う私がいるのが恐ろしいのだ。
背伸びしようと決めた、770文字。
その770文字を書くのを途絶えて、後ろ指を指す、私の影。
何か憤然やる方なしで、どうにも座り心地が悪い。
自分との約束を守った先など、本当は知らなくても良い。
ただ、そうした「当たり前」の行いをして普通な人になりたい私は、私には、必要な責だ。
背負わなくて良い、なんて言えるのは、第三者で、私が私の影に言う台詞ではない。
取りあえず、この記事を書いて、そろそろと付け加えるか、書き直す。
投稿します。