日本平より、その2。
Twitterで流れてきた、10代と30代の違い。
10代。
人にどう思われるか、気になる。
嫌なことを長く引きずってしまう。
自分の「このパーツ」が気にくわない。
漠然とした不安。
30代。
人にどう思われても、仕方ない。
嫌なことは直ぐに忘れる。
自分のパーツについて、考えない。
取り敢えず、何とかなる気がする。
このツイートに、多くの人が共感していた。
「そうだよね、歳を取るとそうなるよね」と言うように。
私は、その事に、驚いてしまった。
何故なら、私の場合、逆で、10代の頃は30代がするとされる考え方で、30代の今時分は、10代がするとされる考え方なのだ。
人にどう思われるかは、10代の頃は然程気にしていなかった。
「自分は社会不適合者なのだから、仕方ない」と諦めていた。
30代の今、「人にどう思われても仕方ないが、仕方ないからと言って気にしないのは違うだろう」と一周した。
嫌なことは、10代の頃の方が切り替えが早かった。
30代の今、益々自分の駄目さ加減に磨きがかかって、1年前の出来事を未だに引きずっている。
10代の頃は、パーツなど考えたこともなかった。
今はむしろ、拘り始めていて、「気にくわない」と言うより、「何故、このパーツなのか?」と思索している。
このツイートで最も顕著なのが、将来の見通しについてで、10代は諦めからの「どうにかなる」感がすごく強かった。
30代の今、このままで良いのか、言い知れぬ漠然とした不安がある。
妖怪すねこすりが、夜の森の小路で足にまとわりついて、無事に抜け切れるか自問自答するような、不安だ。
精神が逆行している。
成長どころか、退行するとは、つくづく私の愚かさに、毛穴から脂汗が滲む。
仕方ない、それも私さ。
若さから、痛々しさだけが抽出されて、私の肚を満たす。
この痛々しさに、私のすべてを乗せて、今年を越えてゆく。