薄いグレーをうっすらと霞みにかけたような、午前6時の朝を悠々と走る。
普段より、自動車の往来が少ないように感じるのは、家で正月を堪能しているからだろう。
そう、2018年1月2日、真新しく年が明けたのだ。
年末年始に関係なく、仕事をしている身としては、妙な疎外感を覚える。
中学の頃の仲が良かった友人の結婚式があったことを、後日、別の友人から伝え聞いたときのような、疎外感だ。
または、アウェイで試合をする地元のサッカー選手を応援しに向かうが、3km地点からすでにスタジアムに向かう自動車から歩道まで、すべて相手チームのカラーで埋め尽くされている中にいるような、疎外感だ。
そうは言っても、年は明けたのだから、2018年を全うしなければならない。
今年は節目の年、これから、毎日、出かけには気を引き締めていきたい。
大掃除で大量に出た古雑誌をまとめたビニール紐を、ほどけないようにぎゅっと引っ張るように、気を引き締めたい。
または、バトミントンで打ち上げて屋根に引っ掛かってしまった羽を取りに、一段、一段、ゆっくりと脚立を登るときのように、気を引き締めたい。
さて、当ブログでも書きたいことはある。
勿論、「私」の追求や、それに付随することや、あれやこれや、だ。
取りあえず、私の物の見方については、思考して、まとめたい。
需要など、私一人しかない、私のための、ブログだ。
ブログとは別に、今年の抱負として、「片付け」を念頭に意識したい。
年末、私の怠け癖が、遂に多大な迷惑をかけてしまい、思い出す度に心臓が縮み過ぎて、ブラックホール化して、私を内側から飲み込んでしまいそうなほど、慚愧に堪えない。
もう、もう、本当に、どうして、私はこんな私なのだろうか?
正月から、真っ黒黒助な私、誰にも悟られずに、森に帰りたい。
いけない、もう少し明るいことを書こう、年初めだから。
年が明けて、真新しくなったのだ。
薄いグレーを取り除く、朝のあの日の光で、私も浄化されているはずだ。
浴室のタイルの目地にできた頑固な黒カビを、カビ取り剤で入念に洗い流すように、浄化されたはずだ。
または、まだ小さい男の子の手を引く女の子が、横断歩道で手を挙げていたので、自動車を止まって待つと、てててと走って渡り、向こう側の歩道で一度くるりと振り返って、元気な声で「ありがとうございました!」とおじきして言われたときのように、浄化されたはずだ。
とかく、年が明けたのだ。
日が昇るのは、昨日も明日も変わらないが、1年の区切りの目安として、特別な意味を持たされた、1月1日の次の日、即ち、もう時代が次へ進んでいる1月2日の朝。
薄いグレーの霞みを払いのけられるのも、結句、私しかいない。
とかく、年が明けたから、私も次に進もうと、決意する次第だ。