今週のお題「ゲン担ぎ」
目が冴える夜明けの風に、吐く息を乗せて歩く。
細く白い息に仕事の疲れも含まれていることだろう。
風に乗っている間に、疲れが霧散する光景を想像する。
2月3日は節分、験担ぎの風習だ。
一般的な節分と言えば、鬼に扮した大人に子どもが煎った豆を投げるものだろう。
煎った豆を歳の数だけ食べる、鰯の頭を飾る、などもある。
最近で言えば、恵方巻きが定着したのだろうか?
とかく、験担ぎをするのが、節分だ。
地域によっては豆まきのやり方が多少違うだろう。
我が家では、祖母の教えに従っている。
やり方はこうだ。
煎った豆を家長が家中を練り歩き、「福は内、鬼は外」の掛け声と共に投げる。
家長の後ろを家人が着いて周り、家長の掛け声に対して「ごもっとも、ごもっとも」と相づちの掛け声をする。
そうして、家中に煎った豆を撒く。
しかし、このやり方を知っているのは、私だけだろう。
と言うのも、家長である父はこういう行事事が嫌いで、やりたがらない。
母は、煎った豆を撒いた後の片付けの方が気になるからか、あまり関心がないように見受けられる。
姉と妹は私と違って友達も多く、部活やら何やらで忙しくて、節分にそれほど居なかった。
そうして、いつも私が家長の代わりをして、祖母が私の後を着いて周っていた。
祖母が居なくなって、私も夜勤で居なかった今年の節分は、母が申し訳程度にコンビニの恵方巻きを用意しただけだ。
煎った豆さえなかった。
形骸化された風習を、伝える術を、私は持ち合わせていない。
いや、この風習を途絶えさせない方法が、たった一つだけある。
私が妻をめとり、子を授かれば、私が先頭をきってやり始めれば良いのだ。
そうすれば、風習が子に伝わって、孫に同じようにしてもらえば、完璧だ。
悲しきは、私に妻になってくれるような奇特な女性が現れることはないだろうことだ。
験担ぎとは、良い結果を出た行為を繰り返して、吉兆を推し量ることだ。
煎った豆を食べたり、投げたりすれば、健康の験には良かったのだろう。
しかし、医療技術の目まぐるしい進歩は、日本を世界一の長寿国にし、それに伴って、煎った豆に頼らなくても良くなった。
健康を願う験担ぎの意味合いは、数世紀先まで残り続けるだろうか?
煎った豆が家にない我が家には、一足早い時代の世相が見えてきそうだ。
一足早い時代の世相、それは、「煎った豆を投げる」行為自体の、消極的で緩やかながらも確実にある、否定だ。
何でもお祭りにしてしまう日本は、恵方巻きをイベントにした。
過剰に配慮する日本は、煎った豆をぶつけることを無くすような動きもある。
煎った豆を投げること自体、古い感性なのかもしれない、と私には感じる。
ただ、そうした否定の中であっても、確かに根付く行事を重んじる日本がある。
煎った豆を投げる風習はこれからも在り続けるだろう、私はそう信じている。
しかし、豆まきを形骸化させないためにも、伝える手段は模索しなければならないだろう。
なら、ここでは、声高に宣言しておこう。
豆まきを形骸化させないために、結婚しよう。
理由が不純な気がする。
いや、不純でない結婚と言うのは一体何だろうか?
ある程度、お互いの損得を勘定する時点で不純ではないだろうか?
なら、「豆まきを形骸化させない」という理由であっても、何も問題ないだろう。
私以外の、相手がいる、若しくは結婚できそうな人は、是非とも、結婚して頂きたい。
そして、豆まきの文化継続にご協力願いたい。
押し付けがましいのは重々承知しているが、文化継続のために、文化継続のために、恥の忍んでお頼み申す次第だ。
どうか、結婚して、幸せな家庭を築くついでに、節分には煎った豆を撒いて、験を担いで欲しい。
一頻り豆まきの思いを書き綴った。
大したことは言っていないのは、いつものことだ。
ふーっ、と白く細い息を吐いた。
目の冴える夜明けの風がまた、吐く息を乗せて、そのまま何処かへと行った。