今週のお題「バレンタインデー」
やはり、と言うべきか、「今週のお題」が「バレンタインデー」だ。
どいつもこいつも浮かれやがって。
そのまま弾けて、お星さまにでも成りやがれってんだ。
年齢=独身の私にとって、縁が薄いイベントの一つだ。
30年生きてきて、本命など貰った試しがない。
目が汗をかいて仕方ない、こんなに寒いのに、目の汗で風邪を引いたらどうしてくれる!?
と口では言いつつ、内心それほど羨ましく感じていない。
甘党なので、チョコレートは欲しい。
しかし、恋愛の神様に見放された私にとって、本命チョコはフィクションの世界だ。
萌えたいのなら、少女漫画のバレンタインデーのシーンでも見て、萌えれば良い。
自分に縁の薄いことだから、自分事のように考えることができない。
いや、そも、私は何事に置いても他人事に捉える所があるから、バレンタインデーだけではないか。
「縁が薄い」と書いてある通り、義理チョコくらいなら貰ったことがあるし、ちょっとした思い出もない訳ではない。
ボランティア活動していた時期に小学生女子2人から頂いたり、職場からお姉様方から頂いたり、全くなかった訳ではない。
逆に姉と妹からは貰った記憶がないし、母からも特別チョコレートを主張するようなものはなかった。
バレンタインデーの縁の薄さは、我が家の環境にありそうな気がしてきた。
そんな義理チョコにまみれた私にGODIVA(以下ゴディバさん表記)は「義理チョコをやめよう」を広告を打った。
職場に気を遣って、義理チョコを用意する気苦労に対して、「純粋な気持ちを伝える日」であるバレンタインデーにする必要はない、と。
ゴディバさんを義理チョコにする女子は逆に怖いような?
バレンタインデーに縁の薄い私でさえ、ゴディバさんが高級なのは伝え聞いている。
そのゴディバさんを「義理チョコです!」と渡されても、渡された方が気を遣うだろうに。
ゴディバさんを義理チョコにしている会社、通勤したくない…
考えるに、ゴディバさんは義理チョコとは縁が薄い立場だろう。
だから、義理チョコが禁止や廃止されたとしても、それほどダメージはない。
むしろ、ゴディバさんは「本命チョコ」として買うことを迫っている訳か。
ただ、私は義理チョコはあった方が良い、と考える。
ゴディバさんの相手取るのは社会でバリバリ働くお姉様方だろう。
しかし、バレンタインデーは中高生の皆さんにも関係してくる。
もし本命チョコだけだったら。
まず、チョコレートを持って行く所を見つかるだけで大騒ぎだ。
間違いなく、告白することが全校生徒に周知される。
どんな羞恥プレイだ、晒し者にして泣かすイベントか?
ここに、義理チョコがある。
「はーい、今からチョコ配りまーす」と明るいキャラの女子がチロルチョコをクラスの男子に配る訳だ。
何人かが義理チョコを持ってきてくれることにより、本命チョコが紛れる。
そう、晒し者になることを義理チョコによって守られるのだ。
本心を伝えたい、純粋な気持ちを伝えるのに、外野は邪魔なのだ。
義理チョコに紛れているためにチョコレートを持ってくるだけでは、分からない。
この「義理か本命か分からない」状態が、外野を排除することに一役買っている。
そして、やはり勇気が出せずに、本命チョコを「義理チョコだよ…」と言って逃げる道もある。
全力でぶつかるだけが美徳ではない。
本命チョコのままだと、もう後戻りができない、そのことを恐れることが悪いことか?否、悪いことではない。
故に、私はこう考える。
義理チョコは、本命チョコを手渡す中高生にとって、必要だ。
次いでで、義理チョコの恩恵は、モテない男子の希望になる。
「自分は女子に嫌われている訳ではない」と安心できる。
単純に、そうしたイベントが好きは女子もいるだろう。
キッチンでキャッキャとはしゃぎながらお菓子作りをする様子は、微笑ましい。
義理チョコがあることで皆が幸せになる。
ここまで浸透したのだから、やめようと呼びかけるのはやめよう!
とモテない系男子(30歳)は主張する。
バレンタインデーは過ぎたが、良い。
来年も同じようなお題だろう。
主張は変えない、私の本心だ。
本命チョコを手渡す純粋な乙女たちよ。
そのまま弾けて、お星さまにでも成りやがれ。
煌めく光が届くようにな!