今週のお題「お花見」
玄関から出ると、庭先にある梅の木に数輪、白い花が咲いていた。
ああ、春が来たのか、と少し眺めた。
ジャケットのポケットから安物の黒いネックウォーマーを取り出し、頭から首へと通す。
首回りをすっぽりと覆い、一度、愛犬に頭を撫でて、その場から離れた。
私は、お花見をしたことがない。
「お花見をしたことがない」には、世間一般のイメージする、が枕にある。
即ち、桜の木の下にブルーシートを敷いて、タッパーや重箱に詰め込んだ食べ物と、炭酸飲料やビールなどの飲み物を持ち寄って、宴会をする、そんなお花見をしたことがない。
桜が好きな私は桜が咲けば、そこかしこに出歩いては、桜を一人眺めている。
お花見と言うのは桜より梅が先と知ってからは、梅が咲いているのを見付けると、同じように一人眺める。
眺めるだけなので、飲み食いはその場ではしない。
だから、大勢で集まって馬鹿騒ぎをするようなお花見に憧憬する私がいる。
性根がお祭り好きなので、大勢に集まってヤンヤヤンヤと騒ぐ中にいるのが好きなのだ。
最も、そうした馬鹿騒ぎの中でも、一人飲み食いしながら眺めることになるだろう。
さて、そんなお花見がお題に上がって私が気になることと言えば、お花見後の散らかったゴミ問題だ。
ヤンヤヤンヤと騒いだ後、桜の木の根元には、ビニール袋や空き缶が転がっていることがままある。
最近は、数年前に比べて環境への意識が高まっているとは感じるが、まだゴミをわざと置き忘れていく輩がいる。
彼らに言わせれば、誰かが片付けてくれるだろう、と責任を押し付けているだけだ。
善良な、良識のある人たちは、せっせとゴミを持ち帰っていることに何か感じることはないのだろうか?
そも、悪いことと分かっていないのかもしれない、と考えてしまう。
ゴミが散らかっていれば、美観が損なわれる。
野生の動物が誤って食べてしまう可能性がある。
悪臭、そのゴミを片付ける市井の労力と税金など、ちょっと考えるだけで色々ある。
いっその事、ゴミ箱を設置しない、とすれば良いような気がする。
然れど、ゴミ箱が設置していようが、いまいが、捨てる輩は捨てる。
むしろ、手持ちのゴミの処理が面倒になる人が、一カ所にまとめて置いて帰り、その一カ所にまとめた場所が捨て場だと勘違いした人たちが同じ所に置いて帰る負のスパイラルが起き、返ってゴミが散らかりそうな予感もする。
つまり、ゴミを出さなければ良いのだ。
ゴミを出さないようにするには、たった一つ冴えたやり方がある。
あえて、言い切る。
桜の木の下のお花見では、飲食を全面禁止にすべし。
極論であるが、これならゴミは出ない。
缶ビールやつまみを買わないから、お財布にも優しい。
みんながしていなければ、日本人はすんなり受け入れてくれそうな気がする。
「飲食を全面禁止」より、「食器、弁当持参」も考えた。
しかし、飲食後のべとべとした食器類を洗うのに、水飲み場が混むだろうし、キッチンペーパーで拭くなどすれば、結局ゴミが出る。
いっそ、極振りして、「飲食の全面禁止」にした方が良い。
こういう主張をすると大半が、「お酒が飲めない!」という人がいるが、飲めなくて良いじゃないか。
元より、お花見なのだから、桜の花を愛でれば良いのだ。
大体、下戸の人もいることや、お酒の無理強いをするアルハラを心配する人も慮れば、お花見だからと言って、飲めなくても問題ないはずだ。
「飲食の全面禁止」と高らかに宣言しているが、私としては、お花見に団子が食べれない問題が脳裏を掠める。
桜を眺めながら、みたらしかよもぎの団子を3串ほど頬張りながら食べたい。
しかし、この問題も実はクリアーしている。
要は、桜の木の下で飲食しなければ良いのだ。
即ち、団子を販売している店の中で食べれば良い。
串はお店の方が片付けてくれるし、団子も食べれる。
こんな逃げ道を作ってしまえば、橋の欄干で座って、「桜の木の下じゃないし」と馬鹿を言う奴がいるかもしれないが、そしたら、「橋の欄干での飲食を全面禁止」にすれば…
嗚呼、こうして生き難い世の中になっていくんだな…
書いていて空しくなってきた、正しいことを書いているはずなのに…
元を辿れば、皆がマナーを守れば、それで済む。
「全面禁止は行き過ぎだ」と感じてくれる良識のある人や、過去にゴミを置いていってしまった人が気付いてくれたら嬉しい。
もしかしたら、現実に、「飲食の全面禁止」を実行に移す自治体が出るかもしれない。
ヤンヤヤンヤとお花見を楽しみたい。
ただ、後始末だけ、小煩くお願いする。
今年も私に桜の木の下で団子を食べられる自由があることを切に望む。
今年の春も楽しみたい。