4月13日のオープンマイクイベントに向けて、準備をする。
試しに考えた話を喋って、自撮りしたのだ。
結果はぐだぐだで、別の話をした方が良いかもしれない、と目下模索中だ。
それにしても、自撮りは恥ずかしい。
カメラに向けた顔が画面上に表示されるのだが、何とも気持ち悪いのだ。
この気持ち悪さは、私の顔の気持ち悪さが一因なのだが、それだけではない。
Facebookで私の写った集団写真が他者がタイムライン上に掲載するのは一向に構わない。
また、私単体でも、写真を撮られること自体は何とも感じない。
しかし、私の写った写真が、私のプロフィールで表示されるのは我慢ならない。
自分の顔をプロフィールに表示している人は、「自分のことが好きなんだな」と考える。
そして、私は自意識が強い。
故に、表示されると、「私はナルシストだ」と公言しているようで、気持ち悪いのだ。
いや、私はナルシストなのだが、ベクトルがネガティブ方向でのナルシストだ。
「私は私が好き」のような自己肯定感が、堪らなく気持ち悪い。
前面に表示されなければ、特に気にならないのに、この気持ち悪さは不思議でもある。
他の人が私が写った写真をどのように使っても良い。
他の人が自撮りをした写真をどのように用いても良い。
私が私の自撮りした写真は、表示されなければ、良い。
若干、私の顔を勝手にピックアップして前面に表示するFacebookには憤りを感じる。
どうせ晒すなら、晒す用の顔で撮ってからにして欲しい。
変顔した顔なら、ピックアップされても文句はない。
話がぐだぐだしている。
いつものことか。
思わず、苦虫噛んだ顔になる。
誰もお前の顔など気にしないと言われる前に、投稿する。