「私」の追求関連の記事を書いていて、長くなりそうだから、避難する。
時間を割いて書いているのに、別の記事を書き始めるとは何たることか、と非難されても仕方ない。
それでも、とっとと書き上げることを優先する。
書きたいことに時間を割く時間がない。
いや、完全完璧言い訳だ。
書く時間を元より確保すれば良いだけの話だ。
しかし、書き始めると、思いの外、時間が取られるのも事実だ。
恐らく、更新するのを止めれば、ゆっくりとは書けるだろう。
更新を止めてば、ゆっくりとは書けるだろうが、書き上げられるかは別問題だ。
何て言うか、難しい。
多少、忙しない方が私には良い気もする。
かと言って、この忙しなさと時間の確保はやはり別問題で、切りがない。
と言いつつ、少し前から、ブログとは別にメモ書きを始めた。
1日1ページくらいを目安に、適当なアイデアを思い付くままに書いている。
やることを2つに増やしているが、今の所、気持ち良く出来ている。
活字読書もウルトラスローペースだが、できてはいる。
こう考えるに、お粗末ではあるが、意外とやろうとしていることはしている。
低クオリティであることが、私には丁度良い。
ただ、心の何処かは分からないが、確実に私をざわつかせる。
「高クオリティ」でないことに、多分、いや、とても気にしている。
質の高い文章、質の高いアイデア、質の高い読書、そうしたことができない私が嫌いだ。
しかし、質は低いが文章も、アイデア出しも、読書もしている。
昨日の私よりは、良い私だと考えたい。
10年後には、多少はマシになっていたいが、今は今を楽しむのに没頭する。
書きたいことの中に、質の低いことは別に構わない、ということは頭にずっとある。
質が低くても良いモノは良い。
でも、その良いモノは結句、高クオリティな部分があるのだ。
質を高めたい、が本音だろう、きっと。
それが30年間、質を高める方法が理解できない私は、要領が悪い馬鹿だ。
だから、誰よりも要領悪く、馬鹿をする。
今を楽しむ、身体に任せる、とにかく行動する。
嗚呼、こう悩むのさえ、実は楽しい。
やはり馬鹿だ、大馬鹿だ、私は。
馬鹿は馬鹿なりに進むだけと空言呟きつつ、投稿する。