ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

散り散りに、誰かの記念日を想う。

昨日は誰かの記念日だったようだ。

31年前の日が昇る頃合いの出来事だった、と聞いている。

そんな誰かの記念日を祝おうとする奇特な人たちがいる。

それに対して、私自身に当て嵌めて、考えてみる。

 

散り散りに、誰かの記念日を想う。

 

 

もう31年、あまりのんびりとできない。

然れどまだ31年、色々と試し試しやっていけば良い。

 

仕事から帰ったら、母からセブンイレブンモンブランを寄越された。

高きモンブランを登頂するような志を持て、とプレッシャーをかけているのではないかと勘繰っている最中だ。

 

以前、お酒を呑み交わしたのは、何時頃だったか…。

また会うことができたら、と感じる次第だ。

会うことができた時には、パクチーのような脇役でありながらも主役級の活躍ができるような、そんな一回り大きい人間に成っていたい。

 

いつも通りに仕事をこなして終わった。

何事もなかったからこそ、きっと善い日だった、私はそう考える。

 

遂に31年だ。

昔は、30歳は大人だと考えて憧れてたが、今時分の私を鑑みるに、全く大人に成れてなく、落ち込む。

それでも、大人らしく精々振る舞う。

 

日大ラグビー部のコーチの年齢が30歳と知り、悲しくなる。

しかし振り返って、自分も正しい行いをしているか、不安になる。

明日は我が身、気を引き締めて、今日を生きる。

 

食事を見れば野菜が足りなく、運動は自動車運転のために遠退き、健勝とは程遠い。

だからと言って、気にし過ぎも精神に悪いので、肩を竦めてやり過ごす。

野菜ジュースと、階段利用で、多少どうにかする。

 

素人ながらに勝手なことを言わせて頂くが、面白い芸人を目指して欲しい。

誰かの記念日ということで、さらりと受け止めてくれたら、嬉しい。

期待しています。

 

音痴な私は、カラオケでいつも50点くらいだ。

しかし、歌を歌うのは好きだ。

それに、ネタで歌ったらそれなりに盛り上がる。

音痴でもやりようかもしれない、と考える。

今を楽しむ、そう心掛けて。

 

サンキュー。

先生。

 

日本語で大丈夫だろうか?

簡単に言う。

ありがとう。

あなたも良い日でありますように。

 

昨日が31年目の記念日だった訳だ。

31年前にあの出来事があったとは、不思議だ。

母にその事を伝えると「気持ち悪いっ!」と遮二無二に切り捨てるけども。

 

これはこれはご丁寧に、重ねてありがとうございますm(_ _)mペコリ。

大したことも言えずに済みませんm(_ _)mm(ー ー)mm(_ _)mペコリペコリ。

 

未だに親との付き合い方が分からない。

しかし、15歳、20歳、25歳の頃よりは、良くなっていると考えるようにしている。

次の歳に振り返った時に、「あの頃よりはマシ」と考えられるようにしたい。

 

無精者な私は、誰かの記念日が31年過ぎたことに、何か怖いものを感じます。

それでも、32年、33年と時間は過ぎ去るのは止められない。

怖い怖い、とびくびくしながらも前へ進むしかない。

 

インターネットで繋がる、というのは不可思議なことだ。

顔を合わせたこともない人から、誰かの記念日をこんなにも祝福することに、だ。

顔を合わせなくても誰かを祝おうとする優しさに、戸惑いつつ自分事のように感謝する。

この優しさを他の誰かに返せたら、素敵だろう。

 

畦道に方々、雑草がぼうぼうと生えている。

勢い盛んなこの雑草を見て、皆、上へ伸びて忙しいな、と他人事のように見ている。

私は、今を楽しむことに勤しんで、横に伸びるように横たえる。

 

6月2日の日にお会いするのが楽しみだ。

その時には何冊か、また漫画か本を持って行こう。

こんな所で申し上げて、済まない。

 

私はよく自分の掌を眺める。

昔から妙に線がはっきりしていて、意固地な性格が表れている気がする。

でも、妙にはっきりした線は、これからの私の道筋がくっきりしているように感じて、安心もする。

31歳、私の掌の線のように、はっきりくっきりした足取りで歩みたい。

 

恨めしいほどに今、晴天だ。

この真っ青な空の下を歩け、と言われているような気分だ。

みすぼらしい私には、この青空は時に恐ろしく感じる。

然れど、晴天は明るい故に、道はよく見える。

ならばと、石に躓かないように気を付けながら、この青空の下をひたひたと歩こう。

 

いつも小まめに訪れて頂き、重ねてありがとうございます。

いつも詰まらないことしか言いませんが、多少の励みになっております。

 

形ある物は何時かは壊れる、分かってはいる。

何れ私の身体も朽ち果てることだろう。

しかし、中々に、そこまで想像が働かない、あまりに先過ぎて。

今は、今を大事にしよう。

 

働けども働けども、暮らしは楽にならない。

しかし、働かなくても暮らしは楽ではない。

楽じゃないなら、楽じゃないなりに楽しめば良い。

そんなことを考える。

 

誰に宛てたか、この散り散りの想いは。

誰に言ったか、この散り散りの考えは。

私は、この誰かの記念日を、どう捉えれば良いのだろうか?

 

散り散りに、散り散りのままに、私は想う。