今週のお題「お部屋自慢」
あー、成る程?「お部屋自慢」ね、成る程ね。
インテリアのどうのこうのね?分かる分かる。
中々良いチョイスじゃないですか、はてなブログ運営さーん?
DIY好きなら、それはもう凝って作った棚とか机とかを紹介すれば良い。
ミニマリストなら、如何に部屋がコンパクトであるかを紹介すれば良い。
オシャレな人なら、イルミネーションやらアロマディフューザーやらを紹介すれば良い。
どんな方向でも攻められる、「お部屋自慢」………ナイスチョーイス。
では、早速、私の部屋の…私の部屋…あー、なかったな、私の部屋は。
我が家には、私の部屋という概念は存在しないのだった。
産まれてこの方、自分の部屋を持ったことがない。
いや、一人暮らしをしたことがあるので、その時には自分の家はあった。
しかし、自分の家であって、自分の部屋は持ち合わせたことはない。
今身を寄せている場所も、自分の部屋ではなく、祖母の部屋を間借りしている認識であり、私が自由に何かができる場所ではない。
私にとっては、バットチョイスだ。
とは言っても、自慢、自慢か…
ならば、1つだけ、自己主張でもしておこうか。
あえて、言い切る。
部屋は、散らかったままの方が、居心地が良い!
世間の流れ、人の心理、そのことを考えれば、「片付けた方が気持ち良い」が多勢だろう。
私も、ゴミがない方が気持ち良いのは分からなくもない。
スッキリした部屋は、衛生面でも良いだろう。
物もスッキリしているから、紛失することもない。
皆に優しい、それが片付けることの良い点だ。
しかし、振り返ってみよう。
私は、毎日、きちんと片付けているのだろうか?
否、断じて、否だ!
便宜上、今の部屋を私の部屋としよう。
その部屋を一念発起して片付けた、としよう。
見違えるくらいに、部屋はスッキリとし、晴れ晴れとした気持ちになる。
しかし、数日すれば、万年床の周りを主に漫画が散乱し、駄菓子のパッケージが何となく一カ所にまとめられ、衣服と荷物が折り畳まずにぼてっと置かれ、瞬く間に魔境と化す。
妹が実家暮らしであった時に、私の部屋を見た時の感想は「妖怪が出そう」であった。
物があちこちに置かれたこの部屋の主、即ち、散らかし妖怪は私だ。
(散らかし妖怪が棲まう部屋の写真)
アドラーの心理学で言えば、「怒る人は怒りたい人」とある。
例えば、ウエイトレスが水を零したとしよう、そのことに怒る人は「衣服が濡れてしまった、どうしてくれる!」と憤る訳だ。
しかし、怒らない人は「大丈夫、拭けば済む、そんな謝らなくて良い」と相手を宥める。
この違いはアドラーに言わせれば、怒る人はすでに怒りたい状態であり、そこに怒っても良い事象が起こったために、怒る理由にしているに過ぎない、とのことだ。
翻って、私のことに考えてみよう。
何故、私は、部屋を散らかしてしまうのだろうか?
それは、その方が居心地がすこぶる良いからに他ならない。
そう、まず私が「部屋を散らかしたい」と考えているから、部屋が散らかるのだ。
そもそも、「部屋を綺麗にしたい」と考えているなら、散らかす前に片付けているはずなのだ。
このことから、部屋を散らかし気味の人は、そうした方が居心地が良い人である可能性が十分にあるのだ。
そして私は結構前から、具体すると5年くらい前から、「もう、散らかったままで良いや」という感じだ。
必要な物は分かるし、片付けるのが面倒だ。
年末の大掃除に一気にざっくり片付けてしまえば、それで良い。
好きな物を好きな風に置いているから、精神衛生面は良い。
物を失くすことはすでに予見しているから、その予防を考えているし、紛失したら自己責任なのだから、仕方ないで諦めれば良い。
更に、他の人の部屋を訪れた時でも、ちょっと散らかってても気にならない、と大らかな気持ちになることができる。
唯一の難点が、片付けていないと父が愚痴愚痴言うくらいだが、その点は、私の家庭の問題なので、思考から排除する。
ほら、何も問題ない、ハハハハハ(乾いた笑い)。
しかし、どうなのだろうか?
私ぐらいか、散らかったままが良い、なんて言うのは…
やはり、世間様は、片付けらた部屋の方が良いのだろうか?
…それでも、声高に言おう!
部屋は、散らかったままの方が、居心地が良い!!
この小さな部屋から散らかし妖怪は自分勝手に喚き散らかす。
とても見苦しい主張だが、これも私、変えるつもりはない。
自分の愚かさを抱き抱えたまま、6月へ向かう。