今週のお題「修学旅行の思い出」
安曇野は快晴だ。
山頂の雪のなんとハッキリと見えることか。
ガードレールや標識の影のなんと濃く見えることか。
誠によく晴れた。
今日は旅立つのに晴れやかな日だ。
今から、長野県から大阪府へ向かう。
旅というのは、良いものだ。
旅立つ、それだけで気分が良くなる。
自分が見たことのない何かがあるのを、期待せずにはいられない。
修学旅行、学校での集団行動があるものの、長野県から離れる、あの高揚感は何とも得難い経験だ。
しかし、思い出してみると、良い思い出もあるが、悪い思い出もある。
もう古い記憶で、正確性には欠けるが、順次書いてみる。
__________
目次
__________
1、小学のときの修学旅行では。
小学生のときは、東京へ行った。
覚えているのは、新幹線に乗り込んだまでは良かったが、機材トラブルか何かで中々動き出さず、軽い吐き気を感じる程度には気分が悪くなった。
ようやく動き出したが、予定では東京駅に降りるはずだったが、新宿駅に降りた。
あの時は、新宿駅が東京駅だと誤解していた。
未だに東京駅には降りたことがないから、縁がないのかもしれない。
それから、東京タワーに寄った時は、同級生らがバラバラに散開して、その流れで私は土産物屋で東京タワーのキーホルダーを買い求めた。
しかし、勝手に散開したことで先生の怒りを買い、即全員収拾され説教された。
私はと言えば、気もそぞろに説教を聞いていた。
何故か、それは買おうとしたタイミングで運悪く先生に捕まるのだかが、私は悪あがきでお店の人にキーホルダーを取って置くようお願いしていたのだ。
なので、早う説教終われ、とそわそわしっぱなしだった。
解放されていの一番に土産物屋へ向かおうとしたが、どの土産物屋で買い求めようとしたのか分からなくなっていた。
そうこうしている内に、次へ移動することになり、結局、買えず仕舞いとなった。
あの東京タワーのキーホルダーは、今でも土産物屋で取り置きされているだろうか、ちょっと気がかりではある。
2、中学のときの修学旅行では。
中学生のときは、広島と京都に行った。
広島では、原爆資料館が強烈だった。
黒焦げの弁当箱や、舌の展示はあまりの生々しさに早く資料館から出たかった。
外の白い日の光が見えた時は、ほっと安堵したものだ。
それから、ホテルの料理がそれまで食べた中で一番美味しかった。
何を食べたかは覚えてないが、広島、旨い!と感動した。
京都では、グループ毎で行動することになっていたのだが、その各グループにタクシーが1台づつ専属で付いたのだ。
今思えば、安全面での配慮だろうが、当時はどちらかと言えば、専属という所にリッチ感を感じていた。
私は苔寺に行きたかったが、他のメンバーが行きたい所を考えると断念せざる得なかった。
それで、各所をタクシーに乗って移動したのだが、記憶しているのは、2つだ。
1つは、京都まで来たのに安いラーメン屋で昼食にしたこと。
そして、タクシーの運転手が小川に煙草をポイ捨てしたことだ。
安いラーメン屋は運転手の紹介だったことから、舐められていたか?と今更ながら考える。
当時は「煙草を捨てるなんて、ガッカリだよな」とグループの人たちと話したものだ。
正義感が強い人なら、注意したかもしれないが、未だ貧弱な我ら中学生組が大人に言える訳がなく、影口を叩いてやり過ごした。
3、高校のときの修学旅行では。
高校生のときは、北海道に行った。
最初は醤油の工場に行ったが、「工場に行った」という記憶しかない。
それからはひたすらにバス移動だった。
北海道ならではの景色を夢見ていたが、当時、私が抱いた感想は「長野県の延々と続く風景と同じじゃね?」であった。
北海道の風景に既視感を感じ、長野県の風景と酷似しているように感じたのだ。
故に、信号機が縦であることや白線を示す看板があること以外、目新しい物はなかった。
それから、北海道に行った10月の時期も悪かった。
ラベンダーなどの花の季節は5月で、雪まつりは2月、10月は最も何もない月だったのだ。
体験学習で私は川下りを選んだのだが、この川下りの水量も1年で最も少なく穏やかな時期で、つまり川下りをするのに最も刺激の少ないという時期でもあったのだ。
その上、川下りを選んだのがクラスでは私1人だけだったようで、別クラスの如何にも仲良しグループに混ざる、盛り上がるに盛り上がれない変な空気の中、川を淡々と下った。
ただ、そんな退屈な北海道の修学旅行でも良いことはあって。
まず、バスガイドさんは一生懸命ガイドしていた。
手作りの北海道で観光する場所の名産を書いた地図を手に持っていた。
バスガイドさんと別れる際には、その手作りガイド地図をこっそり貰った。
それから、ペンションで1泊した後の朝食が本当に美味しかった。
未だにあの朝食以上に美味しい朝食は知らない。
北海道、凄い!とその時初めて感じた。
4、専門学校のときの修学旅行では。
専門学校のときは、沖縄県に行った。
沖縄では…拡声器を持ったオバちゃんが沖縄の現状だが何だかを叫んでいた。
それから、佐喜眞美術館で見た常設画「沖縄戦の図」は身を小さくしなければその場にいられない、圧迫感を感じた。
美術館を後に先生に声をかけられるくらいには、その絵で憔悴したことを覚えている。
あとは、首里城とかデザイン展とか美ら海水族館とか、ゆるく楽しんだ記憶がある。
ほぼ、1人行動であったが、十分に楽しかった。
夕飯が今一つ、というか正直美味しくなかった記憶もある。
私の中で沖縄県でのハイライトは、自由行動時間で海に入りに行ったことか。
山に囲まれているので、そも、海との縁がない。
1人、人家を通り抜けて、それっぽい砂浜で水着に着替え、海へと入った。
向こうに海上で働くクレーン船が見える。
沖縄の海は「綺麗な海」と表されるが、私が見た限りでは、それほど綺麗な印象はなかった。
それでも、初めて海の中に入るのはワクワクした。
まず、海に入って大変に滲みた。
アトピー性皮膚炎の私の肌は掻き毟ってあり、海の塩分はかなり痛かった。
しかし、それを無視して、進んで行った。
それから、足が着かない所まで行って、怖くなったのが思い出す。
漂う、そうするのさえ、勇気が必要な、そんな場所であるのを知った。
急いで引き返して、それで海での体験を終えた。
5、これからの私の旅路は。
旅というものは良いものだ。
旅立つ、それだけで、良い。
あの修学旅行も、結句、良い思い出だ。
大阪でも色々と思い出ができることだろう。
それは益になったり、ならなかったり。
歳を重ねて、振り返ったときに、何かしらの発見になるのかもしれない。
とかく、大阪府での旅はどうなるか、今から楽しみだ。