19時過ぎにドコモショップに行ってみたが、閉まっていた。
仕方ないので、銭湯に行ったが、同じく閉まっていた。
行ってみて知ることが多分にある。
行って悲しくならないのか、と聞かれれば、悲しくはない。
何故なら、何時も何となしにその場その場で決めて行動している。
こちらの都合で店は開いている訳ではなく、向こうの都合で開いているのを了解しているからこそ、悲しみはない。
先に調べてから行かないのか、聞かれれば、面倒だから調べない。
県外などに出かける時には、情報を収集することはある。
しかし、私の行動は、瞬発力頼みなところがあるから、ちょっと待つ隙間がない。
誰かと約束したとなれば、その時間、場所について軽く調べるかもしれない。
しかし、それも、何処に行くかなど特に拘りがある訳ではない。
陸上競技でクランチングスタートで合図を待っている間のように、何も考えていない。
行き当たりばったりな人生は、予定を立てて過ごす人には野生動物を目撃したような信じられない体たらくに見えるかもしれない。
何かしらの予定があった方が安心だし、行動が明確に分かるのは良いこととは考える。
それでも、普段の腰の重さが予定を無駄にするので、私の場合は考えなしの方が動ける。
良く言えば、フットワークが軽い、不遇を受け入れられる。
悪く言えば、突拍子もない馬鹿、先見性のない阿呆だ。
馬鹿で阿呆なことは、悪いことと考えていないから、結句、良いことしか言ってないか。
今日は、脳の回転が良い気がするので、夜更かし気味でいこうか考える。
ふらっと、書き始めれば、良い詰まらない記事が書けそうな気がする。
取り敢えず、馬鹿のまま、阿呆面下げて、だらりと書く。
嗚呼、楽しい、と呟きながら、投稿する。