ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

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知り合った人と初めて会話するとき、たまに「頭が良いですね」と言われることがある。

「頭が良いですね」と言われる度に、居心地の悪さを感じる。

何せ、私は私の頭の残念さ具合を知っているからだ。

 

「頭が良いですね」、と言われると、これはもしや皮肉なのではないか、と穿った見方をしてしまうことがある。

ただ、言った方は純粋な目をしていて、直視できない。

心から言っているとしたら、私の狭量さが際立ち、余計に居心地が悪くなる。

 

何を持って、頭が良いと判じているのか?

私は私の知っていることを話しているだけなのに。

頭の残念さが露呈した時の相手の顔を想像して、身震いする。

 

しかし最近だが、もしや「頭が良いですね」と言う相手は、特に深く考えて言っている訳ではないのではなかろうか、と考えるようになった。

相手の知らない単語が出てくるから、知らない単語を知っている=頭が良いぐらいなのではないか?

私が知っている単語の数など高が知れているのに。

 

例えばだ、アニメ好きのオタクがいるとしよう。

そのオタクが、とあるアニメの第14話の敵キャラの首謀者の意味深な発言は、第23話への伏線になっていて、その伏線の回収が熱い、と語ったとしよう。

私の知らない単語やら記憶力やらで、彼のオタクは頭が良い、と判じられる。

 

若しくは、某男性アイドルグループの熱烈なファンがいるとしよう。

そのファンが、とある楽曲の歌詞は、男性グループのボーカルが手掛けて、いつも歌詞を考える前にはサウナで一汗かいてから机に向かうエピソードを熱く語ったとしよう。

これも私が知らない単語やら知識が詰め込まれていて、ファンは頭が良い、と言って良いはずだ。

 

しかし、オタクもファンも「頭が良い」と褒められていない、気がする。

むしろ、「頭が悪い」と貶されるケースがある。

知らない単語を言ったから頭が良い訳ではないのだ。

 

私の話す内容など、私にとって既知である。

先例のオタクやファンの違いなど、ありはしないのだ。

私が頭が良いのであれば、これらの自分の好きなことを熱く語る彼ら彼女らも同様に頭が良いと判じるべきだ。

 

そうすると、彼ら彼女らの知識量に比べて、私の貧弱さが浮き彫りになる。

そして、気付くだろう、私の頭の残念さ具合に。

騙すつもりはなかった、という弁明は、聞いてもらえるだろうか?

 

正面から言い募るつもりはない。

「頭が良いですか、成る程、ありがとうございます」と答えておく。

「私は頭が残念なんです」と言った所で、変な空気になるだけだから。

 

勝手に凹みながら、頭を空回りさせる、梅雨の空かな…