為になることを書く、というのは、難しい。
何をもって、「為になる」と言えるのか?
求められて始めて為になるのであって、誰も求めていないのであれば、何を書いても為にはならないのではないか?
自虐のつもりで書き始めたが、ふと、他者のブログも貶めてはいるような気がしてきた。
求められていないのに書く、の部分が嫌味に感じる。
そんなつもりはなかった、と考えても、こんなことを書いているということは、何処かしらでそう感じている部分があるのかもしれない。
しかし、私が求めている情報というのがそもズレている気がする。
先程、私が検索していた、求めていたことは「1次元は3次元とどう違うのだろう?」だ。
いや、普通に生きていて、1次元のことについて調べようと考える人の方が少ない。
だから、私が求めている事柄が正しくないのに、求められていないと言うのはつんけんしている。
これは応えてくれる人がいるから書いた人に伝わるのであって、書いた記事に反応がなくても、求められる記事と言うのもあるだろう。
いや、求められると言うのは、やはり、難しい。
人によって、求めることは違う、当たり前のことだ。
人によって知りたいことは違う、そうした前提を忘れてはいないか?
驕っているのかもしれない、詰まらない記事しか書いていないのに。
何となく、反省する。
人によって違う、これを忘れないようにしよう。
私とは違う、それは多様性を認めるために必要なことだろう。
額から汗が一雫、ぽたり、落ちる真夜中。