本八合目までは書いたが、それ以降の記録は書いていなかった。
有り体に言えば、下山した後もくったくたになったから、帰宅後はぐったりと寝た。
日が経ち過ぎる前に記しておこうと考える。
つまり、この記事は…
富士山登頂と下山までの記録だ。
(前回の富士登山については下記リンクより)
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目次
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八合目から九合目へ。
2018年8月6日深夜2時頃、記事を書いていたら目が冴えて来たので、軽いストレッチをした。
右ふくらはぎが異様に痛かったが、ストレッチ後は幾分か楽になった。
身体が解れたので、荷物を用意して2時30分頃、山小屋を出た。
外は流石に寒かった。
上ジャージとジャケットを着た。
小腹が空いていたので、チョコレートパイを買って頬張った。
深夜なのでヘッドライトを着けて山道へ向かうと、山道に光の帯が連ねていた。
御来光目当ての登山者たちの行列だ。
ヘッドライトを私一人消しても問題ないのでは?と良からぬことを考えるくらいには明るかった。
私もその列に参列する。
並んでいるので、進みは遅い。
しかし、止まりながらなので登るのはそれほど苦ではなかった。
九合目は、今までのステージの複合型、砂も岩もある上に、傾斜がより厳しくなった。
しかし、行列は遅々として進まない。
このままでは御来光に拝めないのでは?と心配する声がにわかに聞こえた。
九合目の表記のある場所に小屋があった。
最早、人が住んでいない、朽ち果てた小屋が。
これから頂上まで、ラストダンジョンへの一歩を踏み出した。
頂上まで。
朝日が拝めればそれで良い私は、それほど急いでいなかった。
それでも中には急ぎ足で人を追い抜く人もいた。
若干広くなった場所になると、結構ぐいぐい抜いていっていた。
必ず順番を守らなければならない訳ではなさそうだ。
とのんびり考えていたら、ガイドの人だろうか「止まらず(隙間があって)登れそうならどんどん登ってください」という指示が飛んでいた。
逆に列を乱すな、じゃなくて、追い抜けとは…謎のテンションが上がった。
なので、隙間があったらガンガン登った。
ひょいひょいと登って行くと、空の彼方、東の一点から橙色、檸檬色、白、水色、紺色とグラデーションの帯が広がりつつあるのが見えた。
3000mを越えた景色は、壮大だ。
ゆっくりと、時に強引に登って行った、その先、頂上に辿り着いた。
私は人を追い抜き、掻き分け、走った。
そして、関門所のおじさんに300円を支払い、トイレへと駆け込んだ。
2時間近く行列に並んでいたので、膀胱が爆発しそうだったのだ。
勢い良くアンモニアを放出して、外へ出た。
丁度、日の頭が出始めが頃で、私は持って来たこけしたちを人の邪魔にならないよう並べて無心に撮った。
御来光だ。
日が昇り切った頃、山小屋でおしるこが売っていた。
ヘビーおしるこユーザーである私は、「買う」と意識するより早くお兄さんに声をかけた。
日本一高い山で買ったおしるこに酔いしれながら、その甘味を味わった。
しかし、ふと、私の目に日本一「高い」場所はここではないことを、富士山頂の案内板で知った。
剣ケ峰…裏ステージへの扉が開いた。
剣ケ峰へ。
ざくざくと吉田・須走ルート側から右回りで剣ケ峰へと目指した。
途中の表記で「1km」とあって、ぐるっと回るだけでも結構歩くことにスケールの大きさを感じた。
登り下りをゆっくりと進んだ。
登りはやはり、重力と低酸素と傾斜のコンボが私を襲いかかってきた。
しかし、数々の試練を乗り越えた私には経験値稼ぎにしかならかった。
それでもHPが削れるのは仕様だろう、と割り切った。
途中で、朝日に照らされて、影富士が見えた。
この影の中の住人にとっては、まだ夜なのかもしれない、と考えた。
影の内と外で、朝と夜が分かれているのが、神話の世界のように感じた。
剣ケ峰に着くと、3776mの表記がある記念碑の撮影のためにまたもや行列ができていた。
何の為にここまで来たのか?もちろん、最高峰での撮影のためだ。
何も考えず、黙って並んだ。
人が進むにつれて、段々と不安になってきた。
何せ、私はこけしや人形を並べて撮影するのだ。
後ろで並んでいる人たちを待たせる訳にはいかない、と勝手に焦り始めた。
順番が来て、さっと並べて、ぱっと撮った。
直ぐ捌けて、スマートフォンで撮影した写真を確認して、空を仰ぎ見た。
3体いるこけしの1体が、絶妙に隠れてしまっていた。
どうしようか、再び並び直すか…いや、最高峰で撮ったことが大事なのだ。
そこで、人の邪魔にならない場所へ移動し、綺麗に並べた。
記念碑を撮る前に人が入らないよう焦らず待ち、人が居なくなった瞬間を逃さず、しっかりと記念碑が映るように撮った。
やり切った、私はやり切ったのだ。
達成感に一杯に成りながら、その場を離れる。
ここからは、エピローグ、下山パートだ。
頂上から五合目まで。
頂上から八合目までは来た道を戻って行った。
御来光の時はあれ程待った行列は、まだらになって寂しくなっていた。
下りだと、ゴロゴロした石と傾斜のお陰で転び易くなっていたので、慎重に下りて行った。
八合目まで来て、下山道の案内表示に従って、進んで、驚いた。
下山道は「砂走り」、あの登りで苦しめられた砂だったのだ。
確か、江戸っ子は一気に駆け下りただったか、と案内板での解説を思い出していたが、その意味が分かった。
まず、傾斜があるから、一歩が大きい。
一歩が大きいからそれに合わせて、身体を動かす。
そうすると…自然と小走りになるのだ。
周りの人は、ゆっくりと下りていたが、私は身体の動きに任せて下りた。
つまり、八合目から駆け下りていったのだ。
まるでAK-47から放たれた弾丸のように、駆け抜けていった。
つづら折りの道なので、曲がり角ではスピードを落としながら走った。
走っているのだが、全く息は上がらない。
登山ストックによる推進力と着地、砂によるクッション、傾斜による勢いが合わさって、私を助けていたのだ。
勢い付いて、飛ばしに飛ばして下りた。
馬鹿な私は3回ほど後ろに転んだ。
それでも馬鹿だから直ぐ立ち上がって、走って下りた。
途中、山小屋への荷物の運搬だろうトラックが駆け上って行くのを2度ほど見送った。
山小屋のスタッフたちはこのトラックに揺られて登って行くのだろうか?
一人で登った初日からくったくたで接客は辛過ぎる。
駆け足で下りて行くものだから、砂が靴の中にようけ入った。
途中で2度、靴の中の砂を払い落とした。
白い砂と小石がばんっと音と共に、元居た場所とは違う砂の上へと落ちた。
せっせか下りて、気付けば、五合五勺の入口まで来ていた。
そこから、五合目までは登りと同じ道だ。
行きは登ることに勤しんでいたので、景色を改めて見たが、中々に乙な物であった。
木の根っこが皆ぐっと直角に曲がって生えていた。
雲が通り抜けていく清涼な空気を感じた。
家の路上と同じ薄紫色のホタルブクロが咲いていた。
景色を楽しみながら、五合目へ辿り着く。
簡単にお土産を買って、バスに乗り込む。
気付けば、寝落ち、富士北麓駐車場まで戻っていた。
その後は…
「ふじやま温泉」で登山で汚れた身体を清めた。
それから、長野県上田市で演劇「或いは、テネシーワルツ」を観劇した。
そして、高速道路のサービスエリアで一晩眠り、帰宅した。
長いエピローグを終え、一つの冒険が終わった。
次の冒険は、未だ決めていない。
然れど、私は行くだろう、未だ見ぬ世界へ…!
以上、2018年8月5日と6日に行った富士登山の記録である。