誰かがいると記事が書くのに手間取る。
文章を考えながら、人と話すのは私には至難だ。
「415」は0時過ぎまで友人と居たから、中途半端になってしまった。
今日も中途半端になりそうだ。
習いで私の下に1人入る。
休憩時間に習いの人も一緒に行動するとなると…書けるのか?
こうして、私の時間は削られる。
16日からは今までの研修期間が明けて、オペレーターとして本格化する。
つまり、より私の時間は削られる。
「415」は書き直すつもりだ。
もう少し、言いたいことがあるのだ。
なる早でづらづらと書きたい。
富士山登山の記事に写真を載せたい。
5枚制限があるから、その範囲内で良い感じの写真を選びたい。
そして、良い感じの記事にしたい。
放置したままの「さしすせそ作文」を完結させたい。
これは本当に放置しっ放しだから、気持ちとしては今すぐにでもやりたい。
しかし、気持ちだけではどうにもならず、2年の月日が過ぎようとしている。
こう考えるに、別に私の時間が削られるから中途半端になる訳ではないな、と気付く。
私が中途半端だから、中途半端な悪文を書くだけなのだ。
嫌なことにまた気付いて、凹む。
凹んでいても仕方ない。
気付いたのだから、それだけで上等ではないか?
ちゃっちゃかやるべきことをやれば良い。
…そのちゃっちゃかができないから中途半端なのだが…
凹んでいても、仕方ない。
手間取る私よ、やれば良いのだ。
盆の日に中途半端な気持ちのまま文を書く。