真っ昼間、蝉が鳴いていた。
甲高い鳴き声は辺り一面を響いていた。
じりじりと熱せられた空気は、蝉の声で震わされて、より暑く感じさせた。
久しぶりに蝉の声を聞いた。
夏も終わりに差し掛かったこの時期に、蝉の声を初めて聞いた。
私の鼓膜を震わせる蝉の振動は、今が夏なのだと、強く主張する。
なまら起き上がって、台所に向かった。
机にはキュウリとナスと竹串が粗雑に置かれていた。
これで馬と牛を拵えて、仏壇の前にでも供えるのだろう。
じりじりと熱せられた空気は、盆を境に何処かへ消えてしまう。
まだ暑い、まだ夏はいる。
蝉も鳴いている、姿は見えないが全力で鳴いている。
夏の終わりは直ぐそこまで。
蝉の声が止むのは、きっと、直ぐそこまで。
じりじりと熱しられた空気が去るのも、きっと、直ぐそこまで。
8月15日、気付けば、夏の栄えは過ぎていた。
8月15日、73年も前に始まった平和は、ぼけてやしないだろうか?
8月15日、平成の終わりに、蝉の声は染み入る。
昭和が化石になる前、私は蝉の声を聞いた。
夏の終わりを惜しんでいるのだろうか?
いや、蝉はただ今を鳴いているだけだ。
ただ、一区切りは直ぐそこまで、直ぐそこまで来ている。
夏の終わり、平成の終わり、私の日常の些細な一時の終わりは直ぐそこまで。
蝉は熱せられた空気を、空間を震わせていた。
真っ昼間、蝉が鳴いていた。
甲高い鳴き声を辺り一面に響かせていた。
蝉は始まりも終わりも意図せずに、ただ鳴いていた。
8月15日、蝉と平成とぼやけた私の三重奏は、じりじりと熱せられた空気を響かせた。