温度計を取っ掛かりに考えた。
「あれ、怠くね?」と感じたら主に脇に挟んでみる温度計。
とか言いつつ、今回の風邪のときは特に使わなかったですけど。
温度計と言えば、理科の実験ですかね?
外の外気温を計ろうとかいって白い箱(アレって名前何て言うの?)を見に行ったり。
小学校で買わされた温度計は今も実家の外の柱に括り付けられてます。
あと、お風呂の温度を計るときに使ってます。
あ、仕事場ですけどね?古い施設だから、ボタン一つで湯沸かしをするような最新機器など備えていませんよ?
お湯と水を交互に入れて、湯船に入れて温度を測って、調節して。
まあ、「何か温かい感じ」とかの曖昧な指示じゃなくて「夏は38度、冬は40度」と決められているから迷わずそこに合わせてます。
それから、女性は生理周期?あ、良く解らないんで言及しませんけど←
昔は水銀とかでしたっけ?
今は何なんでしょう?デジタル化はしていますけど。センサー?
そんな都合良く計れるものなんだろうか?いや、計れているんだけど。
その計れた数値をどうして信じてしまうのだろうか?
いや、例えば「熱あるなー」と温度計で測ったら「36.5」とかだったら、多分、もう一回計り直しますよね?だって、熱はあるんだから。
つまり、主観の補足、相手に伝えるのに信用され易い数字の活用かな?
熱があるだけで信用されるとは、思っちゃいないのさ!誰もな!!
…ごほん、さて、まあ、最近この言い回しをよくしてますけど。
あえて、言うならば、あえてね。
ぬくもりの欲しい人は、「確からしい」ことがない人だ。
意味が解らない?まあ、そうかもね。
先の温度計での数値のことなんだけど、「熱あるなー」が主観にあるじゃん?
で、温度計で測ったら「36.5」が客観になるじゃん?
それで、どっちを信じるか?が「確からしい」こと。
自分の感覚、身体に熱がある事が「確からしい」と信じているなら温度計をぽいーするでしょ。
機械の数値、センサーの精度が「確からしい」と信じているなら気のせいになるでしょう?
まあ、どっちも「確からしい」場合もありますけど。
例えば、恋シチャッタ☆とか。したことないから解らないけど。
確かなことって中々実感できないじゃないですか。
例えば、知覚しているこの世界が5分前に出来た!って言われたり。
例えば、今見えている視界が世界の全てで、見えていない部分は存在していない!ってなったり。
で、それを肯定も否定も出来ない訳で。
だって、世界が5分前に出来た!って言われても私の生きた時間は全部思い込み?ってなるけど。
そうだ、それは全てそう思い込んでいるんだ!って言い切られると…そうなのかなーとか思ったり。
見えていない部分は存在しない!って言われても一歩歩く度にその先の世界がそんな瞬時に構築されて行くの?ってなるけど。
そうだ、人間のイマジネーションは無限だ!と断言されたら…そうかもしれないなーとか思ったり。
その中で、結句何を信じられるのか、が肝になるのかなって。
アイデンティティはそうして出来るような気がする。
で、ぬくもりを求める人って自分の中に「確からしい」ことがない人だな、と。
人の体温は肌で確かめられるから、同時に自分の存在を確かめられるから便利なんですけど。
正直、私はハグを求めていない人種の人間なので、ぬくもりとか言われてもピンとこないんですよね。
私にとって「私」という存在は結構不確かなものなんですけど、不確かなことが「確からしい」ということが「私」を支えていると考えています。
「私」に私が執着とも言えるこだわりを持っているから、他者にその「確からしい」を求めることが希薄なのかもしれません。
…普通はどうなんですかね?ハグしたいんですかね?
自分の芯から出る熱を信じられないと言うのも勿体ない気がするし。
相手に依存することに負担をかけていることの罪悪感とか気になるし。
……まあ、芯からの熱もなければ、親に迷惑かけっ放しの私が言うことでもないか。
でも私が言える「確からしい」ことは、自己紹介で述べたようなことで。
そう言えるようになっただけでも、信じられることがそれなりにあることが良かった、とか言ってみる。
未だ熱があるかもしれないな。変なことを口走っている気がする。
温度計は何処に仕舞ったっけな?探さなくては。