赤色ボールペンを取っ掛かりに考えます。
赤いインクの赤色ボールペン。
いや、黒とは違うかなって。同じボールペンだけど、気持ちの扱い的に?
例えば、テストの採点で黒色ボールペンで採点は普通しませんよね?
大体、赤色ボールペンで、さらさらっと採点して、点数を付けます。
で、普段使いで赤色ボールペンは使わない印象です。
赤色ボールペンはボールペンとはちょっと違うのかな?が感じました。
そういえば、暗記をするのには青色ボールペンが良いらしいですね。
赤色だと攻撃的で心理面で負担があるらしく、青色だとリラックス効果があるらしいです。
ボールペンだとインクが無くなっていきますから、「これだけ勉強した」という自信にも繋がるらしい。
ここでも、黒色ボールペンではちょっと違うのしょうね。
そもさん、せっぱ。
あえて、言い切る。
人は「自分の役割」を知るために生きている。
例えば、何かの仕事に就いたとしましょ。
何でその仕事にしたのか?
理由はあるはずです。数ある企業から選んだ理由が。
その選んだ理由は大したことないかもしれませんが、それで一つ属する訳です。
一つの「くくり」に収まります。
その仕事は、社会を動かすのに必要です。
この社会という「舞台」からそれぞれの「役割」が振られる訳です。
その仕事は極小かもしれませんが、社会を構成する大事なピースです。
これは、仕事に限らず、家族という「くくり」の中での「役割」、友達という「くくり」の中での「役割」と様々にあります。
一つ一つ、選び選ばれ。
一つ一つ、定め定められ。
そうして、できるのが「個人」です。
この数多の選択で「くくり」が重なる訳です。
イメージは輪っかと輪っかを重ねると花びらの形の隙間が真ん中にできる感じ?
その上にどんどん輪っかを重ねると真ん中の隙間のスペースはどんどん減りますよね?
その僅かな隙間にできた「くくり」の中、つまり「個人」という「舞台」での「自分の役割」があるはずです。
「個人」の「自分の役割」とは、総合的に見た場合です。
数多の選択で解ることなので、現時点で判断ができない人は多いでしょう。
むしろ、「私はこのために産まれてきた」と言える人は確固たる意志のもと歩んでいるので、私がとやかく言うことでもないでしょう。
私は未だ「自分の役割」が何なのか解っていません。
一応、仕事を定め、自立っぽいこともし、社会的な「役割」は何となく演じられている気がします。
しかし、トータルで見て「私は何のために生きているのだろう?」と答えるには何か足りない気がします。
それは、まだ選択していない事柄があるような、そういう不確かな予感があるせいかもしれません。
最近なんか眠気に負けています。
ストーブで暖まった部屋で、うつらうつらと船を漕ぎ。
眠気眼でストーブを消して、無意識の中へ潜って。
気付けば、日は高く朝を迎えていて。
良く冷えた部屋の中心で如何にして起き上がるかをぬくぬくした布団の中でぼんやり考えてます。
眠りが浅いためか、いくら寝ても寝足りず。
安眠とはなんなのか、呆けたことばかり追い求め。
さながら日向ぼっこしている猫のように温かい所に根付きっぱなし。
仕事とはなんなのか、呆けた顔でゆるゆるとこなしてます。
こういうふわふわとした幸せはふわふわしているから幸せで。
ふわふわしていない、意識がはっきりした視界には問題が山積みで。ふわふわしていないから問題とも言える訳で。
ならば、ふわふわにすれば問題も幸せじゃん?とお花畑に住み始めて。
でも、実際にふわふわになればそうだよな、と急に現実に舞い戻る次第です。
この堕落した感じのためか、アクセスも順調に落ちてますね。
最終的には記事更新しているけどPV0とか…それはそれで面白いことだろうな。
自分の健康が第一だしなー。身体壊してまで頑張る理由が私にはないし。
でも、更新はする。ここだけ弛くないなー。まあ、無意味な記事を1000記事積み上げれば、私のためになるでしょう。
より内面の理解へ。結句、「自分の役割」にしか興味がないんだよな。ナルシストか。
このブログの「役割」は「つまらないことを延々と書く」ことですが、この矮小なブログは「はてなブログ」の中で演じられているだろうか?
と余計な心配をしています。
…この記事は何点だろう?赤色ボールペンで花丸を頂ける、のは図々しいな。
私は一体何者なのか、未だ痛々しく考えてます。