皆様方、こんばんは。
上の小枝の怠け者で申す申す。
今日も怠くて仕方ない。
皆さんはそうでもなかろうか?
元気が有り余っているだろうか?
「元気があれば何でもできる」とは嘘だ、何もできやしない。
思い込みによるマインドコントロールが大事なのは理解しているが、怠いものは怠いのだ。
そんなぐだぐだの感じではあるが、カテゴリーを新設した。
カテゴリー名は「パンドラの箱を開けてみた」とした。
パンドラの箱は開けたところ、閉じ込められていた「災厄」が飛び出すが、最後に残ったのが「希望」とかいうのは、割かし有名ではなかろうか?
この記事はパンドラの箱、様々な「災厄」を読んだ人に降りかかるだろう。
そして、残った「希望」を私がかっさらう、そんな底意地の悪さをタイトルに込めている。
こんな場末のブログそのものがすでに「災厄」であるし、「希望」など一欠片も残りはしないだだろうが。
大言壮語な言い回しを言いたくなっただけだ。
軽く流して頂きたい。
さて、本題というか、願望を書き記す。
この願望は、誹謗中傷はあって然るべきという認識だ。
理解不能なことを書くので、ご承知して頂けると助かる。
私には夢がある。
それは、 「世界的な映画監督になること」だ。
いやいや、お恥ずかしい。
29歳になって現実を見えていない。
叶える予定ではあるけれども。
『それで、撮影はしているか?』
いいえ、何も撮影していない。
『それでは、構想はあるのか?』
いいえ、何も構想はありはしない。
『では、何か人との繋がりを広げているのか?』
いいえ、何も繋がりを作っていません。
『夢は映画監督?』
はい、世界的な映画監督に成りたい。
いやいや、お恥ずかしい。
29歳になって現実を見えていない。
叶える予定ではあるけれども。
『常に映画を観ている?』
いいえ、専ら漫画で、映画はほぼほぼ観ていない。
『撮影技術の勉強はしている?』
いいえ、何も勉強していない。
『何か伝えたい事柄がある?』
いいえ、中身が空っぽ故に模索中だ。
『夢は映画監督?本気で?』
はい、世界的な映画監督に成る。
いやいや、お恥ずかしい。
29歳になって現実を見えていない。
叶える予定ではあるのだ。
『何で映画監督に成りたい?』
何となく、自分に合っている気がするから。
『何か、クリエイティブな活動はしている?』
はい、「ナナシノエイト」で自作の詩を朗読している。
あと、カメラで人形を写真を撮ってはいる。
『どうしても映画監督に成りたい?』
どうしても、という訳ではなく、そこら辺は出たとこ勝負で目指す。
『映画監督に成れなくても構わない?』
あくまで、希望的観測であり、「成れたら良いな」ぐらいに考えている。
『それは本当に本気と言えるの?』
言えないだろうが、現時点でこの夢を諦めるつもりは毛頭なく、きっと生涯拘るだろう。
『どうしてそんなに拘るのか?』
若い自分が立てた果てなき夢を諦めることは、私の理解を諦めることに他ならないから。
『自分の理解をそんなにしたい?』
はい、「何のために生きているのか?」を答えられないのは嫌だから。
『叶わないだろうに?』
いいえ、未来はどうなるかまだ分からないのだから、そこは「多分」叶わないが正確だろう。
『「きっと」叶わないとは思わない?』
はい、何せ自分を裏切ることにかけては当代随一だ。
きっと私は私を裏切るから、確定されたことなどありはしない。
故に、「きっと」裏切るから「多分」叶わない、となる。
『それはもう「きっと」叶わないのでは?』
いいえ、未来の私が何を裏切るかは知る由もない。
その何かが分からない限りは、「多分」なのだ。
『改めて、夢は?』
世界的な映画監督に成る。
いやいや、お恥ずかしい。
来年の5月で30歳になるのに現実を見えていない。
申し訳ない、拘らせて頂きたい。
私の夢について書き散らしたが、新設したカテゴリーには、つまり、夢に向けて何かするための記事を書く。
「何か」と言うと…構想から「こういうのを作りたいなー」、と夢想することだろうか。
非生産な記事で詰まらないだろうが、当ブログの主旨には合っているので突っ切る。
この記事を読んで、「一緒に作ろうぜ」なんて人が居たら、嬉しい。
ただ、苛つかせた結果、怒髪天を衝くことになるので、今から申し訳ない気持ちになっておく。
十中八九、名乗りを上げる人はいないだろうけれども。
皆さんにも夢はあるだろう。
その夢がどんなに馬鹿らしくても構わない。
夢はあるから、希望があるのだ。
なんてほざいてみる。
皆さんの夢が叶いますこと、心から祈っています。