閑話休題。
当ブログで一思いに書いていたら大変な結果になった。
何がどう大変か、を端的に言えば__
一身上の都合で退職することになった。
嘘偽りなく、当ブログに書いた記事関係で退職となった。
前職の言い分を吟味するまでもなく、私が100%悪い。
前職にお願いされてすでに削除した記事なのだが、その記事を職場の職員に読まれた。
その記事の内容がよろしくないと上の責任者に報告された(総合して判断するに)。
そうして呼び出され、話し合いをした結果、自己都合で退職の運びとなった。
私のネットリテラシーの無さが今回の結末を招いた訳だ。
このことから気付いたことが2点ある。
私は社会に迷惑しかかけておらず、社会には必要ないということ。
私の思考は私が向いていると感じた仕事では対立する思考であること。
この気付きから導き出される答えは、つまり、人生の詰みだ。
生きる上で働かなければならないが、技術も知識もない危険思想の30歳独身を雇ってくれる奇特な場所はあるのか……いや、ない。
故に詰みです。
そんな望みも絶たれていても生きなければならない。
生きよう、としたらホームレスや生活保護も視野に入れないといけないのではないか?
帰属する仕事は今回の件で無理だと判明したから、短期で細々と稼ぐしかない。
それにしても、母に退職したことを伝えて低頭して謝っていると。
母「何か清々しい顔をしている」
と言って呆れていた。
あゝ、「性格は顔に出る」とはよく言ったものだ。
大変だとは考えるし、多大な迷惑をかけて申し訳ないと感じる。
しかし、同時に無能で最低な私はいらないと言われたようで嬉しかったのだ。
……こんなことを書く精神性だから駄目なのだろうが。
結句、私は私のことしか考えられないから何時かは起こることが今起きただけなのだろう。
そして悲しいことに、自分の思想がこれから先も変わらないだろう、と感じる。
何故なら根本の部分で何故駄目だったのか全く理解していないのだから。
結論は同じだと、感じていた。
根っこの部分が相容れない、そういうことだ。
そして、今回の件で根っこの部分の相容れなさはどの職種のどんな職場に行っても変わらないだろう。
どうして私は人を傷付けてしまったのだろうか?
私は無神経な人間だと、思い知らせれた。
……あゝ、それでも、どうにかなってしまう。
社会は理不尽で無情ではあるが。
それでも今まで生きてこれたのは社会が優しいから。
死にたい気持ちもある。
これだけ迷惑をかけてきた。
しかし、一先ず、生きてみてから考えよう。
何せまだ若い、死に急ぐほどでもない。
皆幸せになれば良いのに。
いや、生きるとは難しい。
皆さんの一日が幸せに満ちてますように。