ポリタンクを取っ掛かりに考えます。
冬の寒い中、灯油を入れるのに活用されるポリタンク。
水を入れるのにも活用されますね。
寒がりの私は石油ストーブで部屋の温度をガンガン上げるので、減りが早いこと早いこと。
しばらくすると、給油してと音楽が流れるのはしょっちゅうです。
音楽がなると勿体ぶって裏口に置いてあるポリタンクの所へ行きます。
それで、灯油を可能が限りタンクの縁のギリギリまで入れます。
満タンになったタンクを再びセットして、こうしてブログを更新しています。
ポリタンクを滔々と灯油を入れていると、寒さに弱い私はじっと目盛りに注視して早く入れと念じています。
ただ、念じても灯油の入る早さは変わる訳ではなく、それでも偶に傾き加減を調整して少しでもこの場から抜け出したくなっていきます。
ポリタンクの容器は空だから、灯油を入れることができる訳ですけど。
空っぽな私には、何か埋まることがあるのでしょうか?
このポリタンクの灯油は熱エネルギーに変わるけれど、私を埋める何かは何処に注がれるのだろうか?
滔々と灯油を入れていると、ポリタンクと自分を重ねて妄想の世界へ飛び立ちます。
体は「殻た」から語源だと聞いたような気がします。
肉の器に魂が入る、という考え方です。
そうすると、人間の身体には魂で満たされているのかもしれません。
魂なぞ存在しない、と言って中世の魔女裁判のように問答無用で切り捨てられるでしょうけど。
私は幽霊の存在の肯定派なので、ヒロインが告白しているのに「え?何て言った」と聞き返す難聴系主人公のような振りをしてやり過ごします。
魂は人を突き動かすエネルギーでしょうか?魂が抜けると肉体は朽ち果てますからね。
魂が抜けると言うことは、言い換えれば、何処かに注いでいるのかもしれません。
そうすると、自分を突き動かすエネルギーである魂は何処に注がれているのだろうか?
それは他人に注がれるのでしょう。誰かが受け取ってくれるもの。
誰かの願いを別の誰かが受け取って、それは回り回って大きな願いになるのかもしれません。
嗚呼、この不肖の身でも人間として全うするならば、何か注ごうとする意識は必要なのだろうか?
何に魂を滾らせれば良いのだろうか?
何に魂を注げば良いのだろうか?
私一人の幸せなら、十分だけど。周りは私に人と関わることを求めてくる。
ポリタンクを傾き過ぎて、灯油が溢れて零れたのを急いで止めるけれど。
覆水盆に返らず。灯油を掬うことができず、私は眺めることしかできません。
そも、不活性の私の魂はたき火の煙の中にいるような刺激臭を伴ってずっとぐずぐずしているだけです。
嗚呼、煩わしい。どうして頑張らなければならないのだろうか?
どうして、人と関わらなければならないのだろうか?
どうして、私はこんなにこじらせてしまったのだろうか?
考えても仕方がないと割り切れば、いつものように幸せ。
それでも捨て置けないのは、ままならない魂が私の中で燻っているから。
未だ精神は子どものまま、大人になるのは何時になるやら…
そうこうしている内に給油のサインが出ました。
また滔々と注がなければ。
いつもと同じ冬の夜に思考を巡らせて。