グローバルを取っ掛かりに考えます。
平成が終わる、ようですね。
平成元年生まれが30歳、平成は年下の印象なので違和感が拭えません。
昭和生まれの私は化石扱いになるのでしょうか…
次の年号はどうなるのか、今から楽しみです。
時代が変わるのは、年号だけではないようで。
イギリスのEU離脱やトランプ大統領誕生などナショナリズムの台頭が目を見張ります。
外に目が行き過ぎて、内を疎かにしていた反動でしょうか?
その国の雇用されない人たちがテレビで映し出されますけど、富の分配に不公平さを感じている、そういうことでしょうか?
ちょっと前に時代について、今の時代は多様化することに基づいているのだろうと考えました。
昔は受け入れられなかったゲイやアニメオタクなどの価値観は今や多様化すら価値観の一つとして受け入れられました。
栗原類さんが発達障碍であることを告白しましたが、このことを放送できたこと、それを周りが受け入れることが価値観の多様化の現れでしょう。
そうした中でこの時代に生きるには、新しい切り口を示す少数とそういう切り口を認める多数の構造になるのかな?と考えました。
こうした多様化すると言うことは自己の立身、アイデンティティーの拠り所が何処にあるのかが重要でしょう。
私は少数の意見を認めようとする姿勢ですし、「私」の追究を生きる前提にしているので、時代の捉え方もそれに準拠したことではあります。
今の流れは自己の立身に立ち返ようとして内へ内へと向かっているのだろうと考えました。
ただ、内に向かい過ぎると外との流れと合わなくなるでしょう。
自己の立身は何なのか?は答えられることは大事ですが、外との関わりも必要です。
あえて、言い切る。
グローバルになるには、ナショナリズムが大事。
「日本とはどんな国なのか?」が海外の人たちに聞かれます。
日本の立身とは、歴史や文化のことですが、そういうものが拠り所であるから話ができるのです。
何者かも分からない人間とは、信頼した関係が構築できません。
故にグローバルになるには、ナショナリズム、自己の確立を目指すのは自然なことでしょう。
SNSで代表されるように他者との距離が近くなった分、自己のスペースや時間が減り、それが自己の希釈へと繋がっています。
世界が内向きになっているのは、自己の回帰です。
長期で見て、自己の回帰が済めば再びグローバルへと向かうだろう、が私の見解です。
政治思想で言えば、TPPには賛成です。
農作物で言えば、より多くの選択が増えます。
国際競争はより良い物が出ることを期待できます。
より世界を近くにすることは、内向きになりがちな日本に必要なことかな?と考えます。
要はバランスの問題です。内も外も意識する。そうしたことが世界の均衡に必要でしょう。
なんやかんやと言ってますけど、憶測で書いてますから実際は私の捉えている世界は間違っているでしょうけど。
何かトランプ大統領が連日連夜取り沙汰されていたので書いてみました。
皆さんはどうお考えでしょうか。
まあ、でもより良くなれば良いですね。