書くことがないことを取っ掛かりに考えます。
特に何か日常の変化があった訳ではないけれど。
故に書くことがない、という事態になる訳で。
旅行やらイベントやら外に出ている人や、世の中の不義不満を思考している人などいるでしょうけど。
最近の私は怠けたくて怠けたくて仕方ない感じです。
本当に書くことがないので、本当に困ったな、と。
今日に至っては、朝から何かダルいなー、としていたら、気付いたら夜になってました。
問題は、焦りがないことなんですよねー。基本、「どうにかなるさ」が抜けないんですよね。
これが所謂「甘え」でしょう。
さて、書くことがなくても書かなくてはブログの更新が途切れてしまう。
今の状態でブログ更新が途切れたら、次の更新は来年です。間違いなく。
怠けたいのですよ、あー、怠けたい。
いっそ、苔になりたい。石にこびりついていたい。
または貝になりたい。海でじっとしていたい。
アラブの石油王の王子が1億アメリカドルくらい寄付してくれないだろうか?でも、英語とかアラビア語とか喋れないしなー。
ロトで1等当選しないかなー。でも、買いに外に行くのも面倒だなー。
怠けたい、その一心です。
まあ、でも何か書かなくちゃな。
さて、何を書こう?
妄想ネタは昨日投稿したばかりだし。
思考するには、ちょい時間が足りないかな?
就職は、面接に落ちたけど、これは良いや。
友達と若干変な空気になっているけど、これも良いや。
書くことがないや。いや、困ったな。
昔、「書くことがない」って言っていた人に私が「書くことがないことを書けば良くない?」と言ったことがありますけど。
「書くことがない」の一言で終わっちゃうんですよね。
友達を作り損ねて一人ぼっちで過ごした高校生活くらい書くことがない。
あなたの長所を10個上げて、と手渡されたアンケートくらい書くことがない。
毎日書くぞ、と買った日記帳が4日目から白紙になるくらい書くことがない。
もう、本当に書くことがない。
しかし、書くことがないと言う状態も哲学的だな。
いや、例えば私の目の前に靴下がありますけど。
朝ドラの「べっぴんさん」に靴下が出た気がするなー、とか。
よく穴が空くけど私の場合親指付近が最初に穴が空くなー、とか。
サンタクロースのプレゼントに靴下は小さ過ぎるっしょ、とか。
よく片方だけなくなって、なくなった靴下同士のペアを作って左右非対称の似非ファッションにしますよねー、とか。
書こうと思えば書ける気がするような感覚があるじゃないですか?
それってつまり感度の問題かな?とか思う訳ですよ?いや、知らないですけど。
書くぞ書くぞと意気込んでも書くことがなければ書けません。
同じネタを何度も使う訳にもいかないし?
いや、逆に同じネタを使い続けるのも手か?
マンネリの中にある安定感がそこにある?
渡鬼(渡る世間は鬼ばかり)やミトコウ(水戸黄門)とかの使い古された手法を今こそ?
あれ?両方とももう放映していないっけ?まあ、いいやどうでも。
これがプロだったら、もうちょい体裁の整ったことを書くのでしょうか?
いや、書くことがなかったらプロは書かない気がする。
中途半端な内容は沽券に関わりますからね。
その点、当ブログは「詰まらないこと」を謳っていますから体裁とかないのが良いですね!
「詰まらない」ことの良さをもっと世間は認識すべきでは?
うん、楽しい方が良いですね。済みません、調子に乗りました。
しかし、困った。書くことがないぞ?
書くことがないから、記事が書けない訳です。
記事が書けないとなれば、更新できない訳です。
更新できないとなれば、私は天に召されている訳です。
訂正、私は地獄に堕ちている訳です。
これは、どうにか書くことを考えなければならないな。さて、どうしたら書けるだろうか?
技術の問題、のような気もする。
「書く」と言う行為を煮詰めるべきなのかね?
しかし、どう煮詰めるの?イチゴを煮詰めればジャムになるけど?
「書くこと」を煮詰めたら何になるの?これは文学の先達に聞いた方が早いでしょうね…
分からないな。「今日は何もなかった」と書くしかないか…
書くことがないのは大変だな。
ブログ更新はこんな調子で大丈夫か?心配だわ。
まあ、どうにかなるか。
皆さんの想いが大切な人に届きますように。