過ぎる時間を取っ掛かりに考えます。
今日は休みです。休みのはずです。
半日時間がずれているから、変な感じがします。
昼間寝て、夜こうして起きていて、明日の夕方に出勤と相成ります。
休みなのに休みが短く感じます。
夜だと田舎であるので21時を過ぎれば大体のお店は閉まってしまいます。
出かけようと考えると、夜勤明けか、翌日の夕方までです。
夜勤明けは眠気と疲れで布団に雪崩れ込むように入りたいですし、朝はすぐ動く気になれません。
休日を過ごすのに短く感じるのはこうしたことからでしょう。
時間が飛ぶ鳥を落とす勢いで過ぎ去ります。
そんな威勢よく過ぎなくても良いのに、と毎度毎度考える次第です。
なのに仕事をしていると時間は牛歩のごとく過ぎ去ります。
そんなちまちまとスギナク良いのに、と毎度毎度考える次第です。
都合良く解釈して捉えてますけど、時間はいつも通り過ぎているだけで謂れのない難癖をつけられているだけです。
アインシュタインが相対性理論の説明をする際、「熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間位に感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性です」と言っていたそうです。
相対性理論はさっぱりですが、時間の感覚的な捉え方は同じではないことを示唆してます。
時計がない時代は日が昇れば朝で、日が沈めば夜でした。
五感で分かる時間と言うのは一日を過ごす上で大事な気がします。
1秒の定義は「セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移により放射される電磁波の周期の9192631770倍に等しい時間」だそうです。
何を言っているのかさっぱりですが、1967年にそれ以前の定義から更新されているようで、より正確な時間を求めたのでしょう。
暦ができたのは農耕に適した時期を予測するためだったと記憶してます。
正確な時間と言うのは仕事をする上で大事な気がします。
最早、時計のない生活は考えられませんが、時間の数字に追われるだけって言うのも何だか味気ない、と私は考えます。
あえて、言い切る。
正確な時間と五感な時間、上手に折り合いを付けましょう。
仕事中は、夢想して時計を見ない。そうすれば、いつの間にか終わっています。
プライベートは時計を見つつ、適当な予定を組み立ててます。破綻しても気にしない。
納期だとか、出社だとか、気になることは大いなる時計に任せてしまいます。アラーム機能は便利です。
どっちも大事、つまりは追われる感覚が元凶だから上手に折り合いを付ければ良い、と私なんかは考えます。
まあ、こんな所かな?1秒の定義は時間があったら読みたい(先送りの予感)
何はともあれ、これで良し。