がやあー、がやあー
空で朱い何かが鳴いている。
空は暗い。
黒い空に朱い何かはクルクルと舞っている。
「…ねえ、あの朱いのは何かな?」
ソレは唐突に聞いてきた。
ミカヅキはハッとして僕の方へ振り向く。
ソレはケタケタ笑う。
「アレはね、『えんらえんら』って言うんだよ!」
途端、空が真っ赤に染まった。
木々がバチバチと鳴っている。
そこら中で白い煙が立ち込めている。
肌がひりつくように熱い。
燃えている、一瞬にして、炎の真っ只中になった。
僕は辺りを見渡した。
すぐ近くにいたはずのミカヅキがいない。
ソレは笑いながら僕に近付いてきた。
「あの朱いのはね、煙草の火。ここの神様の力の影響で具現化しちゃった奴」
ソレは喋り始めた。
得意げに僕の周りを跳ねながら。
「でね?名前ってね、大事なんだよ?その存在を固定させるからね」
「『えんらえんら』って言うのは、煙の妖怪なんだ。知ってた?煙草とご縁があるね?」
「そうそう、『えんらえんら』って地獄の業火って解釈もあるんだよ?ここは地獄かな?ねえ、どうだと思う?お兄ちゃん?」
ケタケタと笑うソレは、僕にこう言った。
「ねえ、お兄ちゃん、遊ぼう?」
僕の望みは既に答えた。
だけど、ソレの望みに対して僕は何も答えていない。
ソレにとってはその事が重大なことなのだろう。
鳥居でのことを思い出す。
朱い何かが空に表れた時、ミカヅキは「話す時間もなかった」と言っていた。
その時、ソレはどうしていた?
嫌そうな顔をしていなかったか?
ソレにとっても良くないことだったのでは?
木々で覆うこの場所が炎に包まれれば、ソレにとって遊ぶ場がなくなることになるのでは?
想像の域を出ない。
だけど、今ソレは楽しそうに僕の周りを回っている。
「…そんなに遊びたかったのか?」
僕は小さく聞いた。
ソレは聞こえなかったのか、はたまた聞こえているが無視をしているのか、跳ねるのを止めない。
表情は読めない。
だけど、僕は悲しくなった。
僕は『運がなかった』かもしれない。
でも、ソレも、カケルも『運がなかった』だけだ。
ただ、遊びたかっただけ。
ミカヅキもそう言っていたではないか。
それなのに、僕は自分のことばかり。
素直に遊んであげれば良かった。
今更、もう遅いのかもしれないけれど。
「…ごめんな、カケル。ごめんな…」
僕は目を閉じ、カケルに伝えた。
この炎の中では何れ僕は息倒れるだろう。
せめて懺悔の言葉を。
身勝手だけど、カケルに伝えたかった。
偽りだったけれども、それでも僕の弟であったのだから。
バチバチと木が爆ぜている。
チリチリと肌が痛い。
カケルの笑い声は、聞こえなかった。
「あーあ、そうじゃないんだけどなー」
カケルは詰まらなそうに呟いた。
僕は目を開くとカケルは下を向いていじけたように地面を蹴っていた。
「あーあ、もういいや…からあげ」
「え?」
僕は素っ頓狂な声で聞き返すと、カケルは僕に手をぐっと差し出した。
「からあげ。それで良いよ」
何が良いのだろう?
カケルはからあげが食べたいのだろうか?
何故からあげ?
それ以前に、僕の手元には弁当はない。
「あるじゃない、ほら、そこ」
カケルは指差す方を見ると、僕の弁当箱が現れた。
何故今まで気付かなかったのか?
僕は呆然として弁当箱を見ていた。
「取らないの?」
カケルに聞かれて、僕は我に返って、弁当箱へ歩み寄ろうとした。
と、その時、弁当箱の周りを火が取り囲んだ。
弁当箱の周りに燃えるような物はなかったハズなのに、円を描くように炎が地面から吹き出しているようだ。
僕は思わず後退った。
この炎の中に飛び込まなければならないのか?
「神様も意地悪だね…」
カケルはニタニタして言った。
どうやら、今のこの現象は神とやらの仕業らしい。
炎は益々勢いを増していく。
一体、どうしたら?
「…少し、熱い」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
僕が振り返ると、ミカヅキが居た。
「やあ、ミカヅキお姉ちゃん。煤だらけで素敵だね」
さっきまで怨讐の敵に対するようだったのに、今やそれは嘘だったかのようにあっけらかんとカケルは言った。
ミカヅキは少し不機嫌そうに眉をひそめた。
眉をひそめたミカヅキと言うのが妙に珍しい物を見た気がした。
今日会ったばかりなのに、何故だかとても意外だった。
「…遊ばなくて良かったの?」
ミカヅキはカケルに尋ねた。
カケルは肩をすくめるとやれやれと言った。
「遊びたかったんだけどね、詰まらなくなったし。からあげ貰うから良いよ」
ミカヅキも肩をすくめるとスカートを軽くはたいた。
僕の横に来た。
ミカヅキは『運のなかった』僕を助けようとしてくれている。
だから、謝って、お礼が言いたかった。
「ミカヅキ…僕は君に…」
だけど、ミカヅキは人差し指で僕の口を当てて、その先を言わせてくれなかった。
そして、首をゆっくりと振って言った。
「私は十分、あなたに助けられている」
そう言って、弁当箱へ向かった。
燃え盛る炎がミカヅキを襲う。
「流れる水よ、背肉の燃え立つ者を、小さくせよ」
ミカヅキがさっと右手を振ると、燃え盛る炎は消え去った。
ミカヅキはゆっくりと進み、弁当箱を持ち上げると、僕の元へ戻ってきた。
「…はい」
ミカヅキは呪文一つで僕が右往左往していたことを斯くも鮮やかに解決してみせた。
だけど、僕は弁当箱を見つめながらある考えに埋め尽くされていた。
僕がミカヅキを助けた?
何時?
何時僕はミカヅキを助けた?
何か見落としをした、ミカヅキに関する記憶を…僕は何を忘れた?
「からあげちょうだい、お兄ちゃん!」
弁当箱を見つめながら固まっている僕にカケルは元気よく話しかけてきた。
強引に思考を中断された僕はカケルの言葉をなぞる。
ああ、からあげ…からあげを、そうカケルにあげるのだった。
2階のボタンを押されたエレベーターのようにゆっくりと弁当箱のふたを開けた。