ナルシストと言われたことを取っ掛かりに考えます。
不安を取っ掛かりに書いた記事は、一つ確からしい標榜になった。
求道する先に、太陽が地平線から覗かせているような、明日の希望がある。
これで忠言をして頂いた方たちに面目が立ち、一安心…とならないのが世の常だ。
不安についての記事を読んで頂いた方に、「自分大好きナルシストじゃないと書けない」と言われたのだ。
なるしすと…?
私はナルシスト、なのか?
何となしに、このブログで言っていることを振り返ってみた。
私は、「私」の追求する、求道者を掲げている。
そして、そのことに執着している。
それは、まるで鏡の前に2時間髪を弄るような執着だ。
…あれ?これ、ナルシストじゃね?
うわあ…自分で自分にドン引きするしかない。
何という筆舌し難い気持ち悪さ…
無能を自称しているのに、無自覚にナルシスト発揮とか、腐葉土に埋もれて微生物に分解された方が良い。
…しかし、無能である事実と、ネガティブ思考であることと、ナルシストが繋がらない。
自分大好きではなく、自分大嫌いな私である。
果たして、それはナルシストなのか?
ウィキペディアで調べてみた。
ナルシシズム(ドイツ語: Narzissmus, ギリシャ語: ναρκισσισμός, 英語: Narcissism)あるいは自己愛とは、自己を愛し、自己を性的な対象とみなす状態を言う[1]。転じて「自己陶酔」「うぬぼれ」といった意味で使われることもある[1]。語源はギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスが水面に映る自らの姿に恋をしたというエピソードに由来している。ナルシシズムを呈する人をナルシシスト(英: narcissist)と言うが、日本においてはナルシスト(蘭: narcist)という言葉で浸透している。
ナルキッソスの神話は知っている。
水辺に映る自分に恋して、毎日それを見に水辺に行き、遂に水辺に映る自分を手に入れようと飛び込み溺れて死んでしまう。
…私の「私」の追求に、ナルキッソスの行動に近しいと言うか、まんまナルシストな行為ではないか。
溺れてしまうかもしれないとも考える節がある。
そして、「自惚れ」で納得する。
確かに私は自分の無能さは他の追随を許さないと考えているし、ネガティブ方向に全力な部分は正しく自惚れている。
そうか、私はナルシストだったか…
より正確に言えば、「自分嫌いのナルシスト」、とでも自称すれば良いか?
ライトノベルのタイトルのような自称だな、「自分嫌いのナルシスト」というのは…
…今回のタイトルにしてみようか?
あえて、言い切る。
自分嫌いのナルシスト-自己否定の完全証明-
…自惚れてるな、しかも、売れなさそうだ…
自己愛の強い主人公が自分に拘り過ぎて、ヒロインのアプローチをガン無視するストーリー展開が目に見える…
…あれ?突き詰めれば、物語としては、面白いか??…妄想の種にしよう。
因みに下記リンクは、「ナルシスト」でヒットしたブログです。
「自分の1番のファンでいたい」と書かれている記事。
ブログタイトルから、ひねくれているのかな?と考えてたが、純粋で素直で明るい記事であった…
ひねくれてたのは、私です。
何か、もう、ごめんなさい…
色々と知っていく過程を楽しんで欲しいと、勝手に願う次第です。
何はともあれ、これで良し。