気付けば、「192」となっていた。
770文字を書くのを諦めたのは、何時ぞやだったか?
方向性を定める、と言ったのは、何時ぞやだったか?
「意味のない数字」を掲げたのは、何時ぞやだったか?
あと8つ書けば、200記事となる、この大台の前に、最近の体たらくを憂う。
本を読んでも、白猫、ぶち猫、黒猫と、なーなー鳴きながら猫の集会をしている、そのど真ん中にいるようで、全く頭に入らない。
記事を書いても、背中に赤子、左手に幼子、右手に買い物袋を手提げながら、夕飯の献立やら片付けていない机やらを考えるようで、全く思考がまとまらない。
とてとてと、横断歩道を渡るハクセキレイを眺めがら、全く体たらくだ、と短く嘆息する。
このままでは駄目だ、このままでは駄目だ、と部屋の中で右往左往する。
しかし、今までずっと駄目なままで、つまり、今だけの焦りだろう。
この焦りは、2017年が終わる、節目を迎えるのに、何も成し得ていない事実の重荷が、私の前に立ち現れて、私の行く末を阻むからだろう。
項垂れながら、コンビニエンスストアーで軽食を買い求める。
ふと、そう言えば、今日は給料日であることに気付き、ATMで残高参照をしてみる。
すると、78万円、と表記された。
家賃やら、携帯電話の料金やらで10万は消し飛ぶが、それでも70万弱は貯蓄として残る。
今年の2月から働いているので、1年で100万円を貯められそうだ。
密かに、100万円を貯めることが目標であった私は、モニターに映し出される数字に、長く嘆息する。
こうして、数字として見れば、何も成し得ていないは、針小棒大だった。
もうすぐで100万円だ。
もうすぐで200記事だ。
駄目なままだと打ちひしがれ、焦り、嘆き、狼狽えて。
それでも、「継続している」という希望は、数字がきちんと示してくれた。
気付けば、11月も終わる。
今年は、忍耐の年だった。
来年は、もうすぐ、そこまで。
投稿します。