ネガティブ方向にポジティブ!

このブログは詰まらないことを延々と書いているブログです。

表彰状を貰うのがゴールじゃない、スタートだ。

今週のお題「表彰状」

 

気のせいか、外の寒さが和らいでいるように感じる。

梅はそろそろ咲いても良さそうではあるが…

もう10日も過ぎれば3月、春の到来を期待しても良いだろうか?

 

さて、今週のお題が「表彰状」とある。

この時期で言えば、オリンピックが真っ先に思い浮かべる。

男子フィギュアスケート羽生結弦選手や、女子スピードスケートの小平奈緒選手の話題でこのお題は持ち切りだろう。

 

しかし、あえて、王道から逸れる。

邪道、私個人の表彰状をもらったことでも書く。

特に興味のない人が多いだろうが、別に構わない。

 

更に言えば、今日の午後には新しいお題が出るから、タイミングを見ても、そんなに注目されないだろう。

私個人が表彰されたことなど、胡麻粒程度の興味が持たれれば、それで良い。

いや、歯の間に挟まったときの胡麻粒の存在感を考えれば、胡麻粒でも多大か。

 

と、徒然と書いているが、はて、私が表彰状を貰ったことはあっただろうか?と頭を捻る。

表彰とは、「善行や功績をたたえて、人々の前に明らかにすること」だ。

自分のことで手一杯の私が、人前で明らかにするほどの功績や善行をしただろうか?

そして、そのことを表彰状という形で貰ったことがあるだろうか?

 

考えて、一つ、思い至ることがあった。

2階に上がり、アルバムがまとめられている書棚を漁る。

そこに、一つの赤いファイルを見付け、中を開くと、表彰状が出てきた。

f:id:uenokoeda:20180222104505j:image

 

「優秀賞」と書かれており、内容はよくある決まり文句だが、何処から見ても表彰状だ。

時期は平成19年の3月で、表彰状を書いたのは、専門学校の学校長だ。

この文句だけだと、一体何を表彰したのか、第三者は分からないのではないだろうか?

 

私がこの表彰状を貰ったのは、時期から見て、卒業制作で作った作品だろう。

そう、私が2年間の集大成として制作したのが、「ふれっしゅ手話講座」という映像作品だ。

確か、14分程度の無駄に長い作品だった。

 

デザインの専門学校に入学しよう、と決めた時から、福祉に関係することを卒業制作にしようと決めていた。

最初は点字をデザイン化かな?と考えていたし、紆余曲折はあったが、「福祉はもっと身近なもの」、「もっと大勢の人に親しみのあること」というコンセプトは曲げなかった。

だから、周りが何を作ろうか、悩んでいる最中、私は何も心配などせず、黙々と自分のやりたいことのアドバイスを頂き、方向性が決まってからも迷わず進んだ。

 

内容は、「手話をもっと日常で使おう!」をコンセプトに、普段の日常でも使えるような手話を幾つか紹介する、というもの。

撮影場所は、近場の公園で、ブルーシートを敷いた所に私が座り、録画しているビデオカメラの前で簡単なシチュエーション設定とそのシチュエーションに合った手話を披露した。

撮影時期は1〜2月で、とても寒かった記憶がある。

 

シチュエーションが変わったことを分かり易くするために、着ている服をピンク、白、黒と色分けした格好をした。

そのシチュエーション毎で一応、キャラクター分けもしているが、それほど変化はないかもしれない。

シチュエーションの内容は…忘れた。手話が活かせるシチュエーションはあったような気がする。

 

冒頭のタイトルの「ふれっしゅ手話講座」はアニメーションがしたかったから、一つ一つ動かしながら写真を何十枚と撮って、それを1コマずつ配置して、繋がるようにした。

シチュエーション毎にこのタイトルの画も変えた。

単純に、アニメーションを作るのが大変だったから、ビデオカメラで普通に撮影した記憶がある。

 

それから、同クラスメイトの協力をして貰い、歌を歌った。

「ふれふれしゅわしゅわ、ふれしゅわ(デゥワ)、ふれふれしゅわしゅわ、ふれしゅわ(デゥワ)フレッシュ手話講座♪」というテーマソングだ。

デゥワを同クラスメイトに言ってもらい、歌は私が歌った。

曲…というか、効果音は、机を叩いた音を入れている。

 

最後に、14分という長い時間を拘束したことへの謝罪と、最後まで観てくれた感謝を込めて、パンツ一丁になった姿で登場した。

冬場の公園である、周りに人が居ないか再三確認して実行に移したことが懐かしい。

 

それら撮影した映像を簡単な編集をして、DVDにして、完成させた。

企画、撮影、音響、演者、編集、その他諸々、ほぼ私一人で完結させた。

企画には先生のアドバイスがあったし、効果音は手伝ってもらったが、それ以外は私一人だ。

 

 

最後のプレゼンテーションでは、「14分、と長いですので、プレゼンは省きます。内容を観てください」と言って上映した。

上映後、「何で、最後、裸だったの?」というクエッションには、「最後まで観てくれた人々に感謝の気持ちを形にしました」と答えた。

よく考えると、意味不明だが、当時は真剣にそうした方が良い、と考えていたので問題ない。

 

当時、苦笑された先生方がいたが、ある意味で突き抜けていたことと、当時は設置間もない映像部門での初のエントリーだった(という意味合いだろうと推察)ことから、「優秀賞」を授与して頂いた。

この上に「最優秀賞」と「学校賞」があるので、上から3番目の賞ではあったが、27人中3番目、というのは、そこそこ良い成績ではないか?と自負している。

 

時が過ぎ去り、平成30年の2月だ。

今から11年前の出来事だ。

最早、私の栄光のピークと言って差し支えない。

 

しかし、私は未だに諦めていない。

諦めの悪さだけで言えば、躾のなっていない凶暴なピットブルを野放しで飼っているレベルだ。

 

本当は分かっている。

ちくちくと当時を縋っても、現状を変えるのは、結句、自分次第なのだ。

 

才能はない。

才能はないが、諦めない。

あえて、言い切ろう。

 

表彰状を貰うのがゴールじゃない、スタートだ。

 

気のせいか、身体が暑く感じる。

表彰状を見て、微かにやる気が灯った、のかもしれない。

もう10日も過ぎれば3月、ほんの少しだけ、微かな熱に手をかざす。