今週のお題「ねこ」
去る2月22日は、猫の日だったらしい。
「2」が「にゃん」に相当する、らしい。
その「2」が揃っているから、猫の日、らしい。
「今週のお題」のテーマが「ねこ」なのは、2月22日が木曜日だったから?
…本当にそうなのか?
2月22日が木曜日でなくても、金曜でも来週の水曜でも、期間中に2月22日が入っていれば、テーマを「ねこ」にしている気がする。
当日のテレビ番組でも「今日は何の日か知ってます?今日は猫の日です!」と押していた。
去年も一昨年もその前も、「今日は何の日か知ってます?今日は猫の日です!」と押していたから。
恐らく来年も再来年もその後も、「今日は何の日か知ってます?今日は猫の日です!」と押すことだろう。
しかし、猫か。
きっと皆、可愛い可愛い、と持ち上げることだろう。
この期間中でなくても、猫の記事はそれこそ膨大だ。
すべて紙にすれば、高層ビルが埋没して余りあるくらいの、膨大な量だろう。
そうすると、逆に何を書けば良いのやら…
家に猫を飼っている訳ではないし、猫の生態にそれほど詳しい訳ではない。
…思い付いた先から書いていくか。
まずは、やはり、漫画にされたのが多い。
主役も然り、脇役も然り、モブも然り、猫が取り扱われている作品は多い。
最近はFacebookで良く目にする、「夜廻り猫」か。
世の中で泣いている人の近くに行って夜廻り猫、遠藤平蔵がそっと寄り添う話だ。
社会風刺が効いているのだろう、Facebookで結構な割合で見かける。
昔で言えば…「チーズスイートホーム」か?
チーがひたすらに可愛い漫画…だったな。
数話しか読んでいないが、何時か全巻買い揃える予定だ。
買い揃えるで言えば、「夏目友人帳」のニャンコ先生が気になる。
いや、ニャンコ先生は猫なのか?見た目完全に猫だから猫だと考えているが。
読んだことがないが、これも買う予定に組み込まれている。
問題は、財力だけだ。
手元にあるので言えば…「ごきチャ」とか?
主人公はゴキブリなのだが、そこに強面のボス猫、ショコラとのやり取りがある。
5巻で完結しているので、手元に取り易い…かもしれない。
連載しているので言えば…「古見さんは、コミュ障です。」かな?
猫要素は…かなり薄いが、しょこらと言うボス猫が登場する回はあるし、奮起する際にはネコミミが出る。
…猫関係なく、普通にオススメ漫画だ。
このように、猫を題材やキャラクター、一要素に加えるなど、漫画でよく見かける。
私が書かなくても、猫漫画の需要は相当数あるだろう。
細かくは書かない、いつもそうだが。
次に、聖書での猫について。
一説によるとノアの箱船に乗っていなかったようだ。
ノアが乗せ忘れたらしい。
そのため、ネズミが増え過ぎてしまった、とのこと。
船内で増え過ぎたネズミを抱えて、ノアも困ったことだろう。
しかし、ライオンがくしゃみをすると、鼻孔から2匹の猫が出て、その猫がネズミを捕らえて、事なきを得たようだ。
もしも、ライオンがくしゃみをしなかったら、ネズミの重みで沈んで、滅亡したのかもしれない。
マンクスという品種の猫は、箱船が飛び立つ寸前で飛び乗ったが、扉が閉まった時にしっぽが挟まったために、なくなった説がある。
この説だと、猫は箱船に乗っていたことになり、ネズミは増え過ぎないだろう。
私が記憶しているのは、大洪水が収まり、箱船から降りた時に、山から猫が降りてきた、というもの。
これは、漫画知識だったはず。
この説だと、やはり箱船には乗れなかったが、自力で助かったことになる。
何となく、どの説にしても猫が割と高待遇されている気がする。
古い時代から猫は愛されていたのが窺い知れる。
それから…時折、道の端に横たえる猫について。
歩いていると、冷たいコンクリートに寒々しい赤い血と重く固くなった猫が無言で横たえていることがある。
道路に飛び出した猫が、誤って自動車に轢かれることが多い。
自動車で運転していると、目の前に颯爽と走り抜ける猫がいる。
そういう猫を見かける度に感じる。
安全運転していれば、轢かずに済むのでは?
急に飛び出したとしても安全運転ならば、ブレーキを踏めばしっかりと止まる。
猫自体、結構大きいので、目立つ。
こちらがライトで急に照らす、クラクションを鳴らすなどして、猫を驚かして動きを止めさせることもそれほどない。
人を轢くことがそうそうないように、安全運転していれば、何も問題など起きない。
勿論、どうしようもない場面もあるだろうが、どうしようもない場面の方が稀だ。
だから、車道に飛び出す猫が居たとしても、安全運転していれば、大丈夫だ。
要は、スピードの出し過ぎで対応が遅れるのが一因だろう。
ドライバーになって短い期間だが、危ない運転をする人は、いる。
そうした人が、猫を轢いてしまうのではないだろうか?と悔やまれる。
スピードを出し過ぎない、簡単なことだが、大事なことだ。
後は、猫の逞しさに賭けるだけだ。
後は…亡き祖母との思い出かな?
祖母は猫が嫌いだった。
嫌いと言うか、煩わしく感じていたの方がニュアンスとしては正しいか?
当時、何処かしらの猫が我が家の玄関先で時折、吐瀉していった。
玄関を出ると、マグロの刺身の匂いがプーンとして、足下にほぼ水の滲みが広がっていることがあった。
多分、そのことが嫌だったのだろう。
祖母は猫が敷地内に入ったのを知れば、箒を片手に「しっしっ!」と追い払っていた。
私は、別に猫が敷地内で粗相をしたからと言って、気にしていなかった。
逆に、祖母の反応は過剰ではないか?と考えていたものだ。
猫と祖母の戦いもそんなに長くは続かなかった。
祖母は布団に寝ていることが多くなったし、猫も、然る2月の昼下がりを境に、とんと姿を見せなくなった。
今も猫を見ていると、祖母が箒片手に出てくる様を想像して、可笑しくて笑った後、少し寂しくなる。
姿を見せなくなったあの猫は、今はどうしているのか、定かではない。
そう言えば、私の短編小説「あなたが眠るまで。」にも黒猫が登場する。
どういう話かはネタバレになるが詳しくは書けないが、黒猫が登場する。
黒い猫は不吉の象徴とされている節があるが、果たして元はどこからきているのだろうか?
想像だと、西欧の魔女文化に起因しているような気がする。
黒は夜を彷彿とさせるし、猫の奔放さは魔女の気質にあっている気がする。
単純に魔女が猫好きの可能性もあるだろうが。
ガマガエルやヘビのは虫類より、猫の方が可愛いと感じる人は多いだろう。
完全に私の主観で物を言っているが、間違いはない気もする。
魔女は猫好き、「魔女の宅急便」のジジも黒猫であることを踏まえても、魔女と黒猫の組み合わせは強い。
何が言いたいのか分からなくなったが、猫は可愛いのは事実だろう。
猫は仮病をするらしい。
Twitterでその情報を目にした。
甘えたいのだろうか、不思議な気がする。
昔、帰宅すると白猫が寄って来たことがあった。
鼻がピンク色に禿げていて、見るからに病気っぽい感じであった。
近所では見かけたことがない猫だったので、野良猫だったかもしれない。
その猫は鳴き声をしきりにしていたが、私はそっとその場から離れた。
今振り返るに、もしかしたらあの猫は甘えたかったのかもしれない。
当時の私はあまり期待させるのはかえって猫に良くない、と考えていた。
私自身が優しくない、猫を拾い上げて病院にでも連れて行けば良かったのだろうか?
しかし、その後の面倒は誰がするのだろうか?
無責任に飼えない、飼える人を探すのが人の道理だったかもしれない。
当時はそこまで思考が回っていなかった。
今なら、もう少し猫に優しくできたかもしれない。
仮病だったとしても、生き延びるための戦略であり、愛玩動物の本領であろうからむしろ仮病の方が良い。
猫を見ると優しくない自分を幻視してしまう。
猫は好きだが、きっと飼うのは向いていない。
動物を飼うことの難しさを、その責任の所在を私は今も理解できていない。
うーん…考え出せば、色々出るな…
そうだな、最後に巫山戯ておこう。
タイトルもここから取ろう。
にゃんにゃんにゃん、にゃーにゃんにゃー。
にゃんにゃにゃんにゃん、にゃんにゃにゃん。
にゃにゃにゃにゃ、にゃんにゃんにゃー。
にゃにゃにゃん、にゃにゃにゃん、にゃんにゃにゃにゃ。
にゃーにゃにゃにゃにゃー、にゃーにゃーにゃん。
にゃん、にゃんにゃー、にゃー、にゃー、にゃーんにゃん。
にゃにゃーんにゃん、にゃーにゃー。
にゃ、にゃにゃ、にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃにゃ。
にゃー。
にゃーにゃにゃにゃー、なーにゃーん。
にゃー。
よし、リライトすることがあったら、色々と付け足しておこう。
最後に、世の猫に、幸せを。