故郷にいるが、故郷を偲ぶ。
ウサギ美味しい、彼の山ー♪
…一体、何人の人が「追いし」を「美味しい」と勘違いしただろうか?
私が中坊の頃は、割りと本気で「美味しい」だと考えていた。
昔の歌で、その昔の人が昔いた故郷を思い出している。
ウサギを食べるくらい、普通だろうな、と。
そも、何故ウサギを追うのか?
狩猟、食べるためではないのか?
まさか、ウサギと戯れているではあるまい。
ウサギを追いかけて、捕まえて、食べる。
ウサギを食べて、感想を述べる。
食べる前の経過と食べた後の結果の違いであって、「ウサギを食べる」に至る行為は同じだ。
なら、「美味しい」でも問題なかろう?
その方が混乱がない。
ウサギ美味しい、彼の山ー♪で良いはずだ。
それとも、「追いし」でないと都合が悪いのか?
待ちぼうけでは、切り株の根っこで転んだウサギを頂いているではないか。
別に追いかけなくても良いなら「美味しい」でも良いのでは?
または、著作権の問題か?
確か、50年だったか、著作権利の有効期限が50年だったはず。
…もう、それくらいは経ってやしないか?
何かもう美味しいで良いじゃないか。
不特定多数が「美味しい」と考えたら、もう「美味しい」で良いじゃないか。
駄目なのか、駄目なんだろうか?
駄目なんだろうな…悲しいな。
いや、悲しくはないか。
私の思い出にウサギを追いかけたことも食べたこともないのだから。
古き良き故郷があった、それで良いか。
ウサギが跳び跳ねていた野山があったことを偲べば良いか。
ウサギ追いし、彼の山ー♪で良いか。
1人都合良く納得させて、投稿する。