何もかもほっぽり出した昨日から、背骨の軋む音と共に訪れた今日に至るまで。
カラカラと鳴る扇風機の生温い風を受け続けて、いっそ外の方が涼しい部屋の中で。
私は朽ち果てていた。
これはもう性分なのだろう。
やりたいこと、やらねばならないことより、ぐずらぐずら過ごしたくなる。
何か行動を起こすのに、エネルギー配分が極端なのだ。
昨日の記事を直そうと、考えるも、面倒が勝つ。
このままの記事でも面白いような、と考えて、放置する。
今日も1行だったら、流石に良くないか、と自問自答する。
ぽつぽつと小雨が降り始めた。
小雨は土の湿らせて、土の匂いが濃くなる。
私が朽ち果てていても、その上に変わらず降ることだろう。
西日本の雨の被害が想像よりも甚大な被害であることを、机に放られた新聞の見出しで知る。
私が朽ち果てている間に、濁流に呑まれた人がいる。
可哀想に、と感じる私は、安全圏からの、高見からの物言いにも感じて、私は鬼畜生だな、とも感じる。
千羽鶴でも折ろうか、と考えるも、役に立たない物を作ることへの疑問が勝つ。
祈ることしかできないな、と考えて、他の道を探すのを放置する。
普通に過ごしているはずなのに、誰かに責められている気がして、己の愚かさに自問自答する。
雨脚が強くなってきた。
何もかもほっぽり出した私にも平等に雨は降る。
それは優しさでもなければ、慰めでもない。
ただ、雨は冷たいだけ、何の意味などありはしない。
戦争だとか、闘病だとか、災害だとか、関係なく。
朽ち果てている私にも、雨は降る。
誰に謝るとか、そういうことではない。
雨は平等に降る。
生臭い匂いが身体から濃くなる気がするのを、雨の性にするのは、私だけだろう。
ぽつぽつと小雨が降る中、投稿する。