ペットボトルの緑茶を飲み、鮭フレークのおにぎりを頬張る。
数人の人がいる部屋なのに、響くはテレビの笑い声だけだ。
机で突っ伏して寝ているか、好きスマートフォンを弄っているかしている。
仲良く食べる習慣を持ち合わせていない私は、むしろこの静けさは心地好い。
欲を言えばテレビも消したいが、着けていたい人もいるだろうからそのままだ。
ビニール袋が擦れる音をBGMに頬張るおにぎりは美味しい。
1人で食べられない人もいるのが不思議に感じる。
そんなに1人が寂しいだろうか?
孤独を愛する私には分からない感覚だ。
仕切りのあるテーブルは私も良いとは感じる。
しかし、仕切りがあるのを有り難がるのは、1人で食べている姿を見られたくないのだろうか?
そんなに1人ぼっちでいることを認識されたくないのだろうか?
私が仕切りのあるテーブルが良いと感じるのは、自分のスペースとして確保できる点だ。
仕切られた机の中なら周りを気にしなくて良い。
そこを利用している所を見られても、何とも感じない。
1人で過ごせない人は工場勤めは辛いかもしれない。
仲良い人を作れないと、広い食堂で角で小さくなるしかない。
いや、別に工場でなくても、グループに入れなければ同じか。
ペットボトルの緑茶を飲み干す。
相変わらず、テレビの音声が無秩序に流れる。
それでも、おにぎりは美味しい。
一息吐いて、静かな食堂で憩う。