脱力する身体から意識が乖離する。
このまま意識が遠のけば、寝てしまうだろう。
しかし、目はパソコンの画面に、耳は外の音に釘付けにして意識を手繰る。
何もない日常は、普段と違う点を列挙できないから、何もない日常になる。
一言で言えば、起きて、仕事して、寝るだけ。
目を凝らし、耳を澄ませば、違いは必ずあるだろうが、日常を過ごすのにそんな余裕はない。
余裕がない、というのは、立ち止まる時間がないのだ。
朝起きて、仕事をこなして、夜寝る、この一連の流れに立ち止まる時間は一寸の隙間もない。
立ち止まる時間がないから、落ち着いて考えをまとめられない。
他の人は知らないが、私はゆっくりした時間でないと考えがまとめられない。
忙しい時間の中で自分の考えを同時にまとめるのは、下手だと感じる。
働きながら今日の記事について考えがまとまっていれば、書くのも楽になるだろうに。
ロッカールームで荷物を置きに行ったら、社員の方が自分のロッカー前で立ちながら間食していた。
ロッカールームからそれなりに離れた食堂へ移動する時間を節約しているのだろう、と私は考えた。
しかし、狭いロッカールームで立ちながら間食をしてまで時間を節約する姿に、遣る瀬なさを感じた。
既にリタイアしたい気持ちで一杯だ。
仕事を辞めたいし、人間社会を抜け出したい。
落伍者で構わないから、私は落ち着ける時間が欲しい。
しかし、生きる上で多少の無理は必要だろう。
多少の無理に社会の中に居ること、働くことは含まれているだろう。
社会に居ることや働くことが好きな人種には分からないかもしれないが、私には十分厳しい。
というよりもできないだろうか?
周りの目を無視してしまえば、働かなくても生きていける術はある。
その場合も、結句、何かしらの苦痛はあるかもしれない。
何だろう、考えがまとまらない。
それでも、胸が一杯になる。
感情の溜め込む容量が足りない気がしてきた。
脱力する身体から意識が乖離する。
明日も起きなければならない。
釘付けだった目と耳を力一杯引っこ抜いて、意識を離そう。
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