夜勤前、一時の余白、秋風が通り抜ける昼下がり、ふらりと出かけた。
知人に誘われて、松本市刈谷原町にある「ヴィオ・パーク劇場」へと辿り着くためだ。
そこで、音楽とパフォーマンスイベント「トーチカ!」を観劇した。
「舞台がある」だろうというイメージから、私は松本の市街地にあるだろう、と想像していた。
しかし、地図アプリの案内に従っていくと、どんどんと山の奥へと進むことになった。
トンネルを潜り抜けた先に、年季が入った土壁の家屋が見え、そこが目的地であることを明朗な女性ガイドの音声で知らしてくれた。
壁にかけられた「入り口」の看板に誘われて、中へ入ると、静かな異空間が広がっていた。
緑に囲まれた中庭に座ると、風の通り抜ける肌触りや葉の擦れる囁き声が優しく心地好かった。
よく観察すれば、そこかしこに不思議なオブジェが置かれているのだが、家屋の醸し出す雰囲気とマッチしていて、妙に落ち着いた。
私が知らないだけで、色々な場所があるのだな、と今回の一つの収穫だ。
イベント観劇をする前から、結構な満足感だ。
それでも、開場の一声と共に一先ず中へと入った。
今回、観劇する「トーチカ!」の説明を引用する。
音楽とパフォーマンスのイベントточка!
ロシア語では“防御陣地”、日本語では“特火点”を意味する“точка!”を冠したこのイベントは既存の枠組みでは名づけようのない“どこかはみ出してしまう”表現たちを集めたイベント。
音楽、パフォーマンス、舞踏、ダンス、美術、映像…
それぞれが、それぞれの枠組みを壊していく。
それらはいつも前線で闘うツワモノたちのようでもある。
─точка!ははみ出し者たちの前線基地。─
「既存の枠組みでは“どこかはみ出してしまう”」、ここに惹かれた。
暗幕で暗く閉ざされたステージにスポットライトが照らされて、様々な表現が映し出される。
1組、おおよそ30分のステージは中々に刺激があり、時に難解に感じながらステージを見続けた。
ステージ前に、この劇場のスタッフの子どもだろうか、3人ほど座っていた。
無邪気に戯れながら、時々、ステージの方へ見る子どもらを見て、微笑ましくも将来を案じる。
大の大人が大真面目に既存の枠組みに囚われない表現を目の当たりにして、独特過ぎる感性に育ってしまうような心配だ。
2杯目のコーヒーを飲み干し、余計な心配をする自分に嫌気が差した。
大人がしっかりするば良いだけの話だ。
少なくとも、独特な感性がこの子らの行く末をすべてではないし、悪い方向に影響するとも限らない。
ただ、私を省みると、やはり心配する。
私は幸せだ、ただ、世の中との相容れ無さを感じることがあるだけだ。
世の中と噛み合わない人は私だけではない、それを慰めにする大人になるのは良いことだろうか?
夜勤前、一時の余白、秋風が通り抜ける昼下がり、既存の枠組みをはみ出した。
このもどかしさは私だけのものだろう。
静かに笑い合う子どもらよ、大きく育て、と尊大に願う。